ウルトラOについて/インカレ裏話(advent calendar 裏7日目)

裏7日目を担当します、吉澤雄大です。

 

前中さんと共に今年度の秋インカレの実行委員長を務めました(私はスプリント部門の実行委員長)。また、スプリント地図も3枚ほど作成しました(「多磨霊園駅南」「葉山一色」「武蔵野の森公園」)。野沢温泉スプリントではオリエンテーリングの個人的ベストレースを更新して、関東・北東スプセレの運営も実はしていて、何かとスプリントに縁があった年でした。オリエンテーリング以外では今年JR全線(だいたい20000km)の完全乗車を果たしました。

 

ウルトラオリエンテーリングとインカレについての話を書きます。

 

〇ウルトラオリエンテーリング

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ウルトラOのスタート前集合写真

 

ウルトラ競技と言えば、超長距離(だいたい100kmくらいから)を走る種目(?)のことですが、オリエンテーリングにもあったんですね。名前もウルトラオリエンテーリング

 

5月に長野県の元善光寺(飯田)から善光寺(長野)までを地形図上のチェックポイントを撮りながらナビゲーションして走るという「ウルトラオリエンテーリング元善光寺-善光寺」というイベントがありました。

 

驚くことなかれ、コースは176km、累積標高は3000m以上です。

制限時間は36時間。スタートが6時でゴール閉鎖が翌18時。

言うまでもなく、過酷なイベントです。ちなみに176kmというのは100マイルではなく、なぜか108マイル。8マイルはおまけみたいなものだと思いますが、終盤の8マイル(=15km)絶対つらいですね。ただ、想像と違うのは大部分がロードだということでした。

 

要項を見て、過酷なのはもちろん間違いないと思っていましたが、同時に私はロマンを感じました。176kmも走るイベントが存在して、しかもナビゲーションが必要だなんて。一度は挑戦してみたい、自分の力を試してみたいという気持ちになりました。昨年は大きな目標を立てずに何となく過ごしてしまったので今年は何か達成したい、また今年の自分が時間的余裕が比較的ありトレーニングの時間を取れそうというのも参加を決めた理由でした。

 

相方は大学時代の一つ先輩の田中悠さん。長野に住まれています。なんと二つ返事で参加を決めてくれました。1/1(エントリー初日)に張り切ってエントリー。今年の2大目標の一つになりました(もう一つはインカレ運営)。

 

さて、当たり前ですが176kmも走ったこともないし、走れる体力もありません。

 

参考までに当時の自分のバックグラウンドは

・走ったことのある最長距離:50km

オリエンテーリングの実力:日本ランキングで100位くらい

・月間走行距離:100km弱

 

という何とも言えない状態でした。

 

さて、はっきり言って何から対策すればいいのかレベルの状態だったので、数々のイベントに参加しているなっちこと山岸さんにコツとトレ方法を聞いてみました。

 

すると、自分ではあまり検討もしなかった答えが返ってきました。

  • 厚底靴が大事。普通のオリエンシューズでは持たない。
  • 補給食とタイミングを見極める
  • 40kmくらいのトレを繰り返し、本番3週間前くらいに本番の半分程度の距離を走る

 

特に靴はあまり意識していない部分でした。やはりウルトラ競技では足への負担が大きいのは間違いないです。すぐにHoka oneoneのスピードゴート4を購入しました。

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スピードゴート4。底が厚い。

30km-40km程度のランを何度かこなし、月間走行距離も3・4月は150km程度に、直前1か月では180kmくらい走っていました。景色が良いので家から近い三浦を走るなどしていました。

 

三週間前にリハーサルとして2人で長野で70kmのランを実行しました。ですが、スタート10kmで塩尻の峠を越えるコースにしたためか、悠さんは膝を痛め20km過ぎでリタイア。私も45km過ぎからの鳥居峠のきつい下り勾配を調子乗って走ってしまい、52km過ぎで足が棒になり終了しました。不安が残る結果となりましたが、得られたものも多かったです。ちなみに私は次の日に(めっちゃ走った後、休息を挟んで走る練習として)菅平練習会に参加して10km走りました。きつかったですが景色は最高でした。

 

リハーサルで得られたことや改善点

・膝が痛いのは靴の検討とサポーターをするなどで対策してもらうことにした

・急な下り勾配を絶対に飛ばして走らない方が良い

・6:30/km-7:00/kmくらいがずっとペース保つのには楽

・登り勾配もずっと走っているとかなりつらい

・10km程度毎に補給を入れるのが自分には合っている

・昼は走っていれば意外と暑いが日が落ちると寒いくらいになる

・マメができる

 

<計画>

プログラムも出たのでここまでを踏まえて計画を立てました。

途中の関門は4つあり、通過限界時間が決まっています。当然それに引っかかってはいけません。

 

立てた計画の主な内容は以下の通りです。

・飯田に前泊して朝5時の始発に乗ってスタート地点へ向かう

・平地と下りとごくゆるい登りは7:00/km程度で走り、きつい登りは全部歩く。

・序盤から飛ばす人がいると思うが、人のペースにつられない。

・ナビゲーションはなるべく2人でやる

・120km地点の松本エイドで3時間程度仮眠する

・136kmの立峠の関門時間が厳しく、仮眠後は疲れで仮に全部歩いてたとしても間に合うように遅くても4時に松本を出る

・困ったことがあったらできるだけ止まってすぐに解決するようにする

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計画していた走行予定



<懸念や対策>

・暑さ…暑いことが予想されたので熱中症対策、特に水分と塩分の補給を意識した。塩分は塩飴とカルパスを用意した。

・靴擦れ…マメができやすいので、ワセリンを塗るのと靴紐のきつさの調整をした

・腹痛…腹痛が起きる可能性が高く、胃腸薬を常備した。ある程度どの辺にトイレ(コンビニ)があるか事前に調べた。

・カバンが重い…食料と水は調達できるのでコンビニが長い区間ないところを除いては多く持ち過ぎず、荷物を軽くした。

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懸念とか持ち物



<前日から当日>

数日間カーボローディングをして、カロリーを蓄えました。カーボローディングは大学3年のインカレ振りでした。

GPSをつけて走るのですが、京葉の人がGPSのサイトをクラブ内で宣伝してくれました。

大会前日は半休を取得して、午後に実家から飯田に移動しました。中央道府中15:30くらいのバスに乗りましたが着いたのは19:30くらい、飯田が遠くて驚きました。色々やっていたら意外と寝るのが21:30くらいになってしまい、7時間くらいしか寝れない。もう少し寝るべきでした。

 

スタートに間に合う電車が5:00発の1本しかないので朝は早いです、4:30起き。当日5:00の飯田線はこの大会の参加者で埋め尽くされていました。

 

元善光寺では県協会の木村さんはもちろんいましたが、他にも知っている顔が。昨年のスノーシューイング大会で会った岡村くんでした。彼は昨年秋にトレイルで100マイルを走っている強者です。まさか、こんなところで再会するとは。というかこの大会、オリエンティアが結構いるのかと思ったら全然そんなことなく、ロゲに出るような人やロングランナーが多かったようです。

 

スタートして20kmくらいは非常に順調でした。第一エイド(飯島)をほぼ予定時刻通り通過。思ったより通るルート上のコンビニが少なかったですが、ここは長野県。たくさんのハッピードリンクショップがあります。水分は自動販売機でも補給していました。周りを見ると、すごい速度で走っていく人、ポイントを通り過ぎてしまい戻ってくる人が少なからずいました。

 

第一エイドを出てしばらくすると、見慣れた景色が出てきます。「駒ケ根高原」のテレイン内を通過するのです。JICA、南割公園の野球場、いつもよく走る道。オリエンテーリングでよく走るところも別の形で走ると違った景色に見えるものです。光前寺、こまくさ橋とちょっと観光客もいるような名所を通ります。この辺は結構登っていてつらい区間なのですが、楽しかったです。この辺りまでは予定通りのタイムで通過していきます。もう夕方くらいの感覚でしたが、起きたのが早すぎるだけでまだ12時とかでした。

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気持ちの良い参道ですね

 

駒ヶ根エリアを通過すると、畑の道が続きます。これは何を意味するかというと直射日光を浴びることになります。この日は日差しが強く、気温も高くてこのエリアはかなり厳しく感じました。徐々にダメージが蓄積していきます。

 

オリエンティアである我々も63km地点の第2エイド(箕輪)までにナビゲーションのミスをいくつかして20分くらいのロスタイムを出しています。ミスをしたときの精神的ダメージはかなり大きいです。集中力を持続させるのも大変です。

 

第2エイドは16時ごろに通過。理想の通過時刻からは1時間遅れ。この時点では、どちらかというと悠さんより私の方がつらそうにしていたでしょうか。やはりふくらはぎ、太ももともに疲労が溜まってきています。私は一度靴を脱いで休憩しました。ここでは熱中症と思われる、休んでいる選手が何人かいました。

 

自分はこの直後くらいが最も厳しかったですが、80km手前くらいのコンビニで食料をチャージして復活します。悠さんは妙案だと言ってコンビニで買ったインスタント味噌汁を飲んでいました。

 

明るかった空は夕闇へと変わっていきます。いよいよヘッドライトを装着します。峠区間直前のポイントが夜暗い中では結構難しく、悠さんのナビゲーションに救われます。20時くらいに長い峠区間に突入。ここは登りがきついため、全部歩きます。ここでアクシデントが。

峠の頂上で悠さんが寝始めてしまいました。まあ5分くらいなら良いのですが、15分以上経っても起きない。さすがに起こしましたが、結構疲れが来ていることを理解しました。

そもそも走っているのに眠くなるという事態を想定していませんでした。普通ならそうだと思いますが、動き続けて既に16時間以上。さらに周りはほとんど明かりがない暗闇。無理もないです。

 

峠を下りて大きな道に出ると、道端に車と人の姿が。悠さんの会社の人が応援に来てくれていたようです。峠で「もう全然走れないよ」と言う悠さんでしたが、かなりの刺激になったのではないかと思っていました。

 

90kmを越えてペースが明らかに落ちました。悠さんは、もうペースを保って走れるような状態ではなさそうで、歩くだけで精一杯な様子。必死に前を歩いてペースを保とうとしますが、厳しい状態。松本エイドについて仮眠出来れば状況は変わるだろうという希望だけ持っていましたが、自動販売機とコンビニが出てくるたびに休憩や仮眠を取っていたのでペースが25分/kmくらいまで落ちてしまいました。

 

その後もペースは戻らず、日付が変わりました。さすがにこの消耗状態でこれ以上走ってもらうのは、どこか虐待のようにさえ思えました。冷静に考えてこのままのペースだと20km先の松本エイドに着くのが6時(関門閉鎖)を過ぎそうということもあり、ついにリタイアを決意。そこはちょうど運営の車がいた100km地点のコンビニでした。100マイルを夢見た旅はここで終わりを告げました。それでも18時間半、100km動き続けたのでした。

 

運営カーに乗って松本エイドに到着すると結構人がいてびっくり。そして、まだ走れそうな人はほとんど仮眠しないで出ていくことに驚きました。出していただいたインスタント味噌汁がしみる…。2日間でなすのインスタント味噌汁のファンになりました笑。先述の岡村ペアも松本でリタイアしていて、やはり過酷なレースだったようです。

 

翌朝6時前に目が覚めると、全身がものすごい疲労感。そう、走れていたのはアドレナリンのおかげだったんですね。長時間仮眠するときつかっただろうなと思いました。外は冷たい雨が降っていました。全体を通じて完走者は半分くらいの過酷なレースでした。一番早い人は朝にはゴールの善光寺についていたようです、信じられない。

 

<反省>

・夜に走る練習をして挑まなかったのが一番の反省

・カフェインとかがあった方が良かった?

・事前に対策した効果は全部出ていた

 

100マイル(実走できたのは100km)言うまでもなくつらかったけど、また走ってみたいです。とても大きな目標になって良いなと思います。次こそは完走したいです。

一緒に走ってくださった悠さん、コロナ禍で開催した頂いた運営の方ありがとうございました。

 

もちろん翌日の月曜日は有給で爆睡しました。一晩寝ても身体はばっきばきだった。

 

 

〇インカレ運営

今年の裏advent calendar、しゅーとさん、コースプランナーの北見も書きます。表でも競責の平山が書くようで意外と自分の方で書くことが少ない…。振り返った感想でもダラダラと書きます。

 

<全体を通じて>

一連のインカレを終えて、開催できて良かったと心から思います。

 

直前の2年間KOLCオフィシャルをやっていなければ、ここまで「インカレを守るぞ、絶対開催するぞ」という気持ちにはならなかったかもしれません。春インカレの2年連続中止はオフィシャルであった自分にも深い傷(?)と不完全燃焼感を残しました。インカレという学生が目指す舞台がないというのはこんな悲しいことなのかと。学生の無念さは計り知れません。一競技者としても、E権を取っていた全日本スプリントが昨年度中止になり、目標としていた大会がなくなるつらさを感じていました。

 

「秋インカレをなんとしても開催する。」これが自分の思いであり、与えられた最大の使命でもありました。

 

8月頃のコロナの状況は本当に開催が厳しいと思っていました。しかし、日本学連との協議、インカレを応援して頂く人や団体の力、山川さんの渉外、色んな人のご協力によって徐々に開催の道筋が開けていった感じでした。本当に感謝です。

(日本学連が普段話している内容をほとんど知らなかったのですが、インカレを通して驚くほど重要なことをしているということが分かりました。話し合ううちに学生の思いも感じることができました。)

 

閉会式後に若月に「開催できて本当に良かったです…」と半分泣きながら言われ、谷野と3人で歓喜したのは忘れられないです(しゅーとさんもいたら、なお良かった)。

 

次に、(特にスプリントのコースの思い入れが強いのですが)あのコースを世に出せたことが嬉しかったです。本当に素晴らしいコースが提供できると思っていたし、誇りに思います。スプリントの具体的なコースの思いについては北見が書いてくれることでしょう。

 

学生競技者にとっては久々の2日間でのインカレで大会を楽しんでいる様子が目に見えて嬉しかったです。

 

以下、雑談要素が増えていきます。

 

<運営が楽しかった>

ちょっと眠かった以外につらかったという記憶があまりないんですよね。ずっと楽しかった。

明るい人が多かったんでしょうか。すごい雰囲気が良かった。それを表すかのように最後の1か月のSlackの雑談チャンネルの更新頻度は特にすごかった。今すぐあのメンバーでまた運営したいくらい。運責チームが組んだスケジュールが良かったのも影響してそう。

 

<人事・競技などについての小言>

・実行委員長なのにインカレ初運営だった。そんなパターンあるんだってなった。そもそも実行委員長は日学の出身者か競技などである程度名前の知れた方がやるイメージだったので、自分に依頼が来たのが意外だった。

・当初の開催予定地から矢板に開催地が変わり、当初のコンセプトから外れるということもあり、実行委員会は一度解散した。3月以降も引き続きやるか迷った。使用されている回数も多い矢板運動公園で面白くなるビジョンが当時の自分には見えなかった。結局、役職継続となったが、面白くする案が自分では浮かばず、大量の柵で迷路を作るか、何か新しい構造物を作るということを自分の頭では本気で考えていた。あんな良いコースが生まれるとは思っていなかった。

・コースプランナーを誰にするかという話で北見を推挙したが、スプリントが早い人というイメージの他に昨年度advent calendarの文章が面白い人だなと思ったことがある。ロングプランナーの濱宇津は北見のことを「オリエンテーリングめっちゃ考えている人」と思っている節があり、互いに刺激になったようだ。Advent calendarはこんなところにも関連しているというのは感慨深い。

・スプリントの実行委員長だったけど、ロングのコースにも口を挟むなどしていた。ロングにも結構思い入れがあった。

・周囲の優秀さに驚かされた。人事が完璧だった。平山が競責の時点で競技成立はするだろうと思ったのも、役職を引き受けた一因。

・観戦ガイドを見れば見るほど「コース最高!」という感想しか出てこない。

・スプリントの競技成立へ大きな役割を果たしたと思うのが、隔週で開催していた「IOFガイドライン」「インカレ実施規則」「競技規則」「地図記号(ISSprOM2019)」「過去のインカレ報告書」などをスプリント競技班で読む会。この会のおかげでスプリント競技への理解が相当深まった。報告書の大切さも思い知った。

・スプリントの試走は平日。野球場を使った試走はこの1回のみ。

 

<雑談>

矢板運動公園の地図名はすぐに決まった一方で前高原の地図名は実は紆余曲折あった…しゅーとさん明日書いて下さい笑。

・スプリントの観戦ガイドの最後の文章はコースプロフィールのボツ案をちょっと直したものらしい

・スプリント重役は「やまりょうた」が二人。最後が「大」「太」(読みはどちらも「た」)で三人。

・ロング運責の村井が最初にやった仕事はslackのオリジナルスタンプの開発。推せる。

 

明日の裏adventは前中実行委員長です。