world cup出場記録

 

この記事は裏advent calendar2024 6日目の記事です。

 

GROK/京葉OLクラブの吉澤です。

5月から6月にスイスとイタリアで行われたorienteering world cup round1&round2に参加しましたのでこれについて書きます。この文章の大半は帰りの飛行機の中で書きました。飛行機が片道13時間で長すぎます。

今月9日に報告会があるので、いずれにせよまとめないと、ということでここの日程にしました。もう少し要点を絞ってまとめる予定でしたが、時間がないためそのまま掲載します。長いのですが、全日本リレー前日大会が思ったより遠かったので(東京から車で6時間半)、移動時間の暇つぶしなどに良いかなと思います。

 

(12/9 一部追記・修正を行いました)

 

そもそもworld cupって?

world cupといえば、思い浮かぶのはやっぱりサッカーですよね。サッカーのFIFAワールドカップは4年に1度ある大きな大会です。実はワールドカップは色んなスポーツに存在しています。たいていは世界チャンピオンを決める大会です。私がサッカーの他に思い浮かぶのはスキージャンプですね。高梨沙羅選手がワールドカップ◯勝目みたいなニュースを耳にします。

サッカーでは「ワールドカップ」を商標登録したかったようですが、他のスポーツにもあるからと断られてFIFAワールドカップになったようです。

 

オリエンテーリングworld cupはIOF(国際オリエンテーリング連盟)が主催する大会です。IOFが主催する大会はfoot-oだと、WOC、JWOC、world cupの3つです。年にもよりますが、年間何回かの大会(今年はround1-4)で行われて、それぞれで優勝者を決めるとともに年間の総合成績によって成績がつきます。賞金もroundごと、総合成績ともに用意されていて、roundで優勝すると1000ユーロ(=17万円)、年間総合優勝すると5000ユーロ(=85万円)が渡されます。これはオリエンテーリングを本業とするアスリートにとっては大きいですね。

 

オリエンテーリング(フットO)の最高峰の大会はWOC(世界選手権)と思われ、私のイメージではworld cupは「(時期によっては)WOCの前哨戦」、「WOCに次ぐ格の大会」といったところです。その一方でレベルの高さはWOC以上と言われることもあります(後述)。

 

world cupに出るには

日本におけるworld cupへの出場枠は男女各数人です(今年は各4人でした)。

最低でも全日本エリート出場の実力がないと出場できません。

強化選手が優先して選ばれます。

詳細はJOAのページを見てください。

 

ちなみに私は強化選手ではありません。日本ランキングでは現在37位です。骨折の影響で一時期は60位から外れていました。

走力は3000mでは昨年夏で9:54、最近測ってないですが9:40くらいと思われます。

 

なんで出たの?

 

1.スプリントのターゲットレースが日本にない

スプリント種目において目指す大会といえば全日本スプリントがあげられます。年に1回は目指す大会があるわけです。しかしながら年齢に関わらず参加資格があり、毎年開催が約束されているスプリント大会というのは他にはないと思っています。

 

フォレストでいえば、6月には東大大会、夏には札幌OLC大会と北大大会、8月-9月には名椙、秋のうちにcc7、10月には京京立大会、11月には東北大大会があるというように全日本以外でも大会がどの辺にあると決まっています。ターゲットレースを決めて照準を合わせることができます。

 

スプリントは冬に全日本がある以外には何も分かりません。時々上尾OLC大会のように単発イベントが入っていく感じです。ブランドのあるスプリントの大会というのは全日本、インカレ以外にないといっていいでしょう。

 

前々から合わせられるターゲットレースが1年間もないというのはなかなか厳しいものです。

 

そこで海外大会に目を向けてみました。

主要国際大会といえば、JWOC、ユニバー、WOC、world cup、マスターズとなります。このうち年齢制限がないのはWOCとworld cupの2つ。そして、スプリント種目のWOCは2年に1度で4枠しかありません。非常に狭き門です。

world cupは私にとっては照準を合わせる良い機会だったといってもいいでしょう。

 

2.世界レベルを経験する

多くのWOC経験者が海外選手の走りは早すぎると言います。その事実は私も認識していても、具体的にはイメージ(言語化)ができないでいました。

world cupに出れば嫌でも自分とトップアスリートを比較することができます。生の走りを見れます。ラップタイムももちろん出ます。

 

3.色んなところに還元する

最近は競技の重点が高い私です。ただ、私はオリエンテーリングではマルチに動いています。競技の他に運営、地図作成、大会記事執筆をしていますし、一時期はオフィシャルとして指導を行っていました。今年のWOC日本チームのトレーニングコース(@スコットランド)も組ませてもらいました。

選手として国際大会に出るという経験は競技に限らず、各方面でこれからも活きるだろうと思ったのも出た理由の1つです。

 

4.なぜか2週連続でスプリントがあったこと

例年world cupのスプリントは1回ないし2回あります。2回あるときの年は1ヶ月くらい間が開くことが多いのですが、今年はなぜかround1の次の週にround2がありました。これは2週続けて出るしかないですね。航空券代が1回分浮いているのである意味ではお得な遠征だったと思います。その分休みを取るのは大変でしたが。

 
5.同世代に刺激を与えたい

同世代にまだまだやれるぞ、チャレンジできるぞって思ってほしかったんですよね。誰かが頑張ろうとするきっかけになればという思いはありました。

 

発表から出国まで

前年夏くらいからこの大会には出たいと思っていました。前年9月に粉砕骨折してスピード復帰できたのは1月の全日本スプリントとこの大会へのモチベーションがあったからです。

 

4月に公式に発表が出て、入江選手と行くことが決まりました。

 

会社に休暇を申請しました。最短のスケジュールでも水木金月火水木金月で9日の休みが必要でしたが、月曜から翌々週月曜まで連続11日の休暇をもらうことができました。本当にいつもありがとうございます。

(オリエンテーリングの活動に対してかなり理解のある会社だと思っています。また、会社にオリエンテーリング部を作るなどしているので、実質的に会社にアピールはしています。「年始からここで休み取るかも」とも伝えておきました。)

 

ちなみにworld cupに行って大量に有給が消化されることを想定していたので昨年度の下半期で有給をほとんど使っていません。「年末年始とか休まないの?」と聞かれましたが「有給ないんで…」って答えていました(有給20日持っていましたが使いたくなかった)。昨年10月に至っては、粉砕骨折の手術直後で非常に身体がきつくて休みたかったのですが、この遠征が念頭にあったので、退院翌々日から普通に(?)仕事をしていました。あれはきつかったです。

 

費用面に関しても出費が嵩むことが予想されていたので、昨年度の下半期はだいぶケチっていました。怪我の影響もありましたが、12月まで遠征はほとんどなし。大阪の新春大会と3月の滋賀・大津のランキングイベントは青春18きっぷで往復していました。宮古島スプリントと佐賀全日本リレーもセール運賃(片道7700円)で取ったのでセーフ。

骨折の通院費用で20万以上かかってたのでそんなにたくさんは貯まりませんでしたが…。

 

 

さて、5月後半というのはゴールデンウィークも終わっていてヨーロッパ行きチケットは比較的閑散期です。skyscannerで調べてみるとアジアや中東経由での乗り継ぎなら往復で16万〜といったところでした。直行便は少し高くなりますがANAがセールをやっていたので私は迷わずこれを取りました。羽田からドイツ直行便で往復18万でした。

 

次に宿泊施設を探しますが、これが難しい。

round1があるスイスのoltenという街は人口1.5万人ほど。そもそも宿泊施設が多くないのです。費用を抑えられるairbnbはエンバゴーの中にしかなかったので仕方なくホテルを取りました。

round2のあるジェノバはもっと難しかったです。ジェノバはWOC2026の舞台でもあり、中心部はほとんど全てエンバゴーエリア。他の小さな街もかなり広い範囲にエンバゴーがかけられていました。airbnbマップとエンバゴーをにらめっこ。中心部から電車で西に20分ほど離れたところにあるairbnbを見つけました。

 

そうこうしているうちにゴールデンウィークにになりましたが、ヤバかったのはユーロ円並びにスイスフラン円のレートです。気づいたら170円=1ユーロ=1スイスフランになっていました。高すぎる…。

embargo(立ち入り禁止エリア)がめっちゃ広い

 

競技面では5月に秋田でWOC選考会があり、選考ライン+1分の結果で惨敗。(翌日の飯島砂防林フォレストは4位だったのにね。)それでも日本代表トリムを秋田で受け取ったのでモチベーションは上がりました。

 

4月後半から5月の出国まではスプリントをひたすらやる期間ということで、近場の練習会と今まで描いてきた地図資産をフル活用して個人的に10回(20コースくらい)スプリントを行いました。このうち1回は増澤すず選手に(今回のイタリアテレインと似ていると思われた)葉山でコースを組んでもらいました。強化委員会主催のトレーニングにも参加させてもらいました。そして、もう読みたくないと思うくらい地図を読みましたね。

 

 

スイス入国

5/17金曜の夜に出国してミュンヘン経由で19日にスイスに入りました。ミュンヘン行きの飛行機がドイツ政府の要請(後に環境活動家のデモによる滑走路閉鎖と判明)によりミュンヘン空港に着陸できず、フランクフルトに着陸する波乱のスタートでした。

 

イベントオフィスのオープンは22日、入江とも22日に合流だったため、最初の数日は時差ボケを直しながら1人で多少の観光を楽しみました。宿泊してたのは首都ベルンで他にルツェルンとグリンデンワルドという街に行きました。本題とは関係ないので写真を載せて詳細は省略します。いかにもスイスらしい景色は素晴らしかったです。

これが本物のアルプスの山々

 

この期間に泊まっていた宿はキッチンがあったので夕食はこれを使って調理していました。というのもスイスに入って1度外食をしましたが、比較的コスパが良いと言われるレストランでも35スイスフラン(=6000円)とかでした。外食が高いのは想像通りでしたがこれを続けると破産待ったなしなので、なるべく自炊にしたわけです。

 

ちなみに日本から米とパスタソース、味噌を持ってきていました。重宝しました。

 

物価の暴力

22日にOltenで入江と合流しました。

とりあえずイベントセンターがマクドナルドの2階だったので昼飯はマクドナルドでいいかーとなったのですが、ランチタイム割引のある安いメニューでも10スイスフラン(=1700円)、ビッグマックセットは15スイスフラン(=2550円)とかです。事前に調べてたことでしたが、やはり高いなという感じでした。

ですが、絶望するのはここから。夕食も外食では高いのでスーパーで惣菜やパンでも買って済まそうということになりました。MIGROSという大手スーパーに行きますが、そこで売られていたのは惣菜パン概ね3フラン〜(=510円〜)、普通のサイズのサンドイッチ(2個入り)が5スイスフラン(=850円)、ハムときゅうりが挟まったバンズ6スイスフラン(=1020円)、コーヒーはセルフで入れるやつで3.5スイスフラン(=595円)、サラダ(しかもドレッシングなし)は6.5スイスフラン(=1100円)といった具合でした。比較的安いのは水だけ(1.5リットルで200円くらい)。もう1度言いますがこれはコンビニではなくスーパーです。全てが高いということに気づきます。要するに安く済ませる手段がないのです。大会前なので食べないわけにもいかない。これは絶望。

一食分は水とサンドイッチと惣菜パンを買って15フラン(=2550円)とかでした。簡単に飽きるし野菜食べたいので、ケバブの店に行く日やサブウェイに行く日もありましたがやはり2000円くらいはしました。1700円で食べられるマクドナルドはスイスの中では比較的安かったのです。

さらに最初の2泊は無料で朝食ビュッフェが出てくるホテルでしたが、エンバゴーの関係で本戦期間中に泊まったホテルには朝食がついておらず、さらに食事には飽きていきました。

食費だけで1日あたり5000円くらいかかったのではないでしょうか。良いものを食べているわけでもないのにこの価格なので頭を抱えます。

 

これで15フラン(2500円)、なかなかの絶望感

 

交通事情についても書いておきます。スイスの鉄道はヨーロッパでは珍しく、ほとんど遅延しません。路線網も(世界的に見ても)発達しています。しかし値段はすさまじいです。ノックアウト予選でzofingenという街に行ったのですがolten-zofingenという8分で着く区間(10kmくらい)が片道8.4フラン(=1420円)もしました。200フラン(=34000円)払えば1ヶ月運賃が半額になるカードもありますが、厳しいです。

bernからzurichは115kmの距離で高速鉄道とはいえ、10,000円でした。走るまである。日本なら東京から名古屋(350km先)まで行ける値段です。

 

 

※22-24日はエンバゴーにならないエリアがあり、最初の2泊はそのエリアのホテルに泊まっていました。

 

本戦(round1)

knock-out sprint 予選

スイスの物価の愚痴を書きすぎましたがようやく本戦の話になります。

ノックアウト予選はzofingenという街でした。旧市街とその周辺で構成されるテレインです。各ヒート12名が翌日のクォーターファイナルに進めます。

 

初めての国際大会なのでルールや慣習的なことで知らないことが多く、プログラムの読み込み時から色々と学びました。

 

・隔離所にはスマホを持っていっても良いが、隔離所の入口で電源を切る必要がある(持ち込み自体が禁止されていると思っていた)

・隔離所へのチェックインは各自の名前が書いてあるところにサインをする(順番が分かりづらかったが、この時は国名のアルファベット順になっていた)

・会場行きの荷物置き場があるので、スタート前に荷物をdropする

・ゼッケンつける用の安全ピンは自分で用意するが置いてあることもある、名前はemergency pinだった

・ゼッケン番号はスタート順とは限らない、逆順のこともある

 

この日はランキング上位からのスタート。ワールドランキングポイントで圧倒的最下位(当時0pt)の私は当然ラストスタートとなりました。

 

隔離所にいる間は晴れ、隔離所を出た時点では小雨でしたがこれくらいで終わればいいなと思っていました。

 

ところがスタート地区に行くにつれて、聞こえてくる雷の音。

 

2分前枠に入った頃には大雨も大雨、雹も降っていました。2022年の北東セレを思い出す雨でした。スタートすると雨足はさらに強くなっていきました。雹が当たるのが痛い。

 

コースはというと、迷路状の人工柵を通るタイプ。こういうのなくなったんじゃないんか。

 

迷路状の場所は切り返しが多く、足元が草のため、ツルツル。全然スピード出ませんでした。乾いていた状態とキロタイム20秒くらい違いそう。

 

石畳のエリアはもはや池になっていました。ずっと水たまりを進む感じ。厳しい。

 

ルート選択はかなり良く、途中で1分前の選手に追い付きましたが、そこからナビがやや疎かに。大きいミスを1つしました。

 

この後の街の区間は少しスピードを上げることができました。雨の中、集中力を切らすことはなく、なんとか走り切りました。

 

この大雨じゃそんなもんだろうというタイム、結果でしたが、思いのほかDISQが多くて、順位的には33位/44人となりました。団子状のレッグがあり、間のコントロールを飛ばした人が多かったようです。3レーンなので順位的には運良く2桁順位。

圧倒的にスタート順で後ろが不利だったため、やはりコンディションが悪くない状態で上位選手と結果を比較したかったなという気持ちでした。ちなみに男子の後にスタートだった女子選手は雷雨がヤバすぎて30分遅れのスタートになっていました。

 

終わった後、大会ボランティア?の子供にサインを求められました。初めてこういうサインしたかも。

 

翌日の決勝はテレビで見ました。スイスのジョー・ハドーンが優勝していた。私はこの日は併設大会のコースを走りました。

 

大雨雷雹霰。ペゴさんからも「(雨が)想像以上」という反応を頂いた。

ノックアウトスプリント予選。迷路状の柵があった。



 

個人スプリント

決勝の翌日に個人スプリントでした。ここは旧図がしっかりとあり、よくある市街地テレインという印象でした。そんな変なコースにならなそうということもあり、最も結果を残せるだろうと思っていた日です。

 

この日は隔離所に入ってからスタートまでが長い日でした。4時間くらい隔離されたと思います。

暇だったので他の選手が何しているのだろうと観察していました。デンマークの選手はボードゲームだかカードゲームだかをやっていました。オーストリアの選手はお手玉していました。ベルギーの選手は外で半裸で過ごしていました。

1週間前に日本に来て千葉ポートパークでスプリントをしていたハンナ選手(ドイツ)とは少し話しました。日本にいる間に稲毛さん、小林祐子さんと箱根外輪山のトレラン(50km弱)にも行っていたようです。

 

1分前はオーストラリアの選手でした。私はこの日もラストスタートです。

17番のすぐ北東にでかめの駅がある。18→19は屋根付きの橋。24番でミスった

 

前半部分はオープンが混在する市街地といった感じでした。ナビのミスはなかったもののルートチョイスで(正解ルートが見えておらず)外れルートをいくつか選んでしまいました。

 

中盤、長めのレッグのルートチョイス。不安になりながらも無難なルートを選択。ちゃんと走れました。この後立体交差のレッグが続きましたが、ここも事前の対策が活きて時間を使わずにルートを選択。この辺のこなしはかなり良かった気がします。

人の多い橋を渡るレッグが確実にあるのも分かっていましたが、運営側はどうやって渡らせるのだろうと思っていました。ここは橋の中にカラーコーンが置いてあり、選手と一般の人を分離していました。

 

終盤は前日のノックアウトスプリントでも使ったエリアなのでもう難しいところはないと思っていましたが、前日は見なかった立体構造がありました。ここは前日は建物+キャノピー表記で2階部分は書かれていなかったのですが、2階部分を解放して地図表現が変更されていました。さすがworld cup

コントロール位置を1階と2階で間違えて(Toveも同じミスをしていた)、さらに階段を見誤るミスをしました。ここで30秒くらいのミスがついてしまいました。

 

中盤まで85点くらいのレースができていましたが終盤のミスでレースの出来は70点くらいになりました。

 

それでも1分前のオーストラリアの選手を捉えて、追い抜いてゴールしました。結果は124位/完走127人。入江は体調が良くなかったらしく、不完全燃焼のようでした。

 

ラップタイムを見るとショートレッグのタイムはそこまで悪くないものの、中~長いレッグのラップはおおよそ3桁順位ラップでした。

 

終わった後に運営者が着ていたTシャツが欲しかったので、買いに行こうとしたのですが店が見つかりませんでした。そこでそのTシャツを着ていた運営者に「そのTシャツはどこで売っているの?」と聞いてみたところ、なんと無料でもらうことができました。ありがたいです。

 

このTシャツ、筑波大トリムに似ています。名椙大会でこれを着て走ったら、見事に筑波大の人と間違えられました。

 

8月に北アルプス涸沢で撮ってもらった写真

 

イタリアへ

スイスの物価にうんざりしていた我々は大会が終わるとすぐにイタリア・ミラノへ向かいました。鉄道で4時間くらい。

 

ジェノバAirbnbを翌日から予約していましたが、この日はミラノ泊。宿もそれぞれ取りました。翌日airbnbで合流する予定でした。

 

23時半着とかで普通に寝たのですが、翌朝朝食がついていたので朝食会場に行って朝ごはんを食べていると、話しかけられました。なんと入江も同じ宿でした。小さい町ならともかく、ミラノという巨大な街でお互い適当にホテルを取って被るとはさすがにびっくり。入江とはこういうところの価値観が合うのかもしれない。

その日は入江とミラノの街を散歩して、ついに外食をしました。10ユーロくらいでパスタが食べられて感動しました。スイスなら20ユーロするので物価が半分になった感覚。

 

ジェノバ郊外のAirbnbにチェックイン、スプリントトレーニングが翌日から始まりました。トレーニング地図の購入を忘れて実行委員会にメールするなどのトラブルがありましたが、何とかなりました。宿とテレイン間の移動は全て鉄道(長いと片道1時間半)で、イタリアの普通列車にたくさん乗ることになりました。

 

Savonaという街中のスプリントと地中海のリゾート地らしき場所でのスプリント、もう一つスプリントインターバルトレーニングがありました(※WOC2026に参加する人は同じトレーニングメニューがあるかもしれません)。ロケーションは地中海沿いとあって最高。22度くらいで気候も非常に良かったです(スイスは15度くらい)。

 

一方テレインの特徴はスイスのテレインとは大きく違い、とにかく「坂」「階段」。3km up120mみたいなコースがいくつもありました。傾斜がきついのは海岸沿いテレインあるあるなのでしょうか。自分は三浦半島のスプリントマップを多数書いていますが、葉山や横須賀はかなり似ているなと思いました。

 

要塞

要塞を地図にするとこんな感じ、激ムズ

地中海沿いリゾートみたいなところでスプリント、とても景色良い



Airbnbでは自炊生活をしていました。入江の料理スキルに驚かされました。トマト煮込みやカレー、ドリアなどを作った気がします。米と味噌がまだあったのでこれらも有効活用されました。なんだかんだ米が食べたくなる。

 

ドリア作っているところ、オーブンが自分たちで点火するシステムだった

 

round2本戦

さて、いよいよworld cup本戦です。個人スプリントは公園みたいなところがメインでした。出走は3番目。この公園の構造がかなりえぐかったです(今年のスプリントで最も難しかったと思います)。全然読めないし、実行であらぬ方向へいきそうになりながらギリギリ耐えるといった感じでした。このエリアで2分はミスっていました。公園エリア終盤で3分後のモルドバの選手に追いつかれた後、自分が前を走り続けました。公園エリアを抜けた後はまずまずでしたが、最後に6分後のスウェーデン選手に抜かれて絶望しました。記録は21分台。実は自分はこの2日前くらいから風邪をひいていましたが、それを加味しても悪いパフォーマンスでした。女子選手に至っては10%くらいの選手が20分を超えている荒れた状態でした。男子も終盤まで14分半が切れずに荒れているなと思いましたが、優勝したcasper fosserは唯一14分前半出していて、さすがすぎました。

 

4→5→6、鬼。8→9も面白いルートチョイス。今年のroute to christmasにも登場した。

4は洞窟の中、滝の裏みたいなところにあった

 

レジェンドの登場

翌日は昼スタートのスプリントリレーに出走予定でした。混成チームで出走予定でしたが、朝にIOF eventorを見ると、私も入江もエントリーされていない。斡旋がうまくいかなかったと思われました。全体を見ても女子の人数が明らかに少ないので仕方ないことです。いずれにせよSIカードを返却しないといけないので、現地には観戦に行くことにしていました。

9時くらいだったでしょうか。スイスから急遽一人出れなくなったので混成で出れないかというメールが来ていたようです。スイスのどのチームと混成を組むのかはまだわかっていませんでした。

 

自分は先述の通り、風邪をひいていたので(実力的にも)争うまでもなく入江に任せました。

 

その後、スイスチームはDaniel Hubmann(※WOCを何度も優勝している42歳にしてバリバリ現役のレジェンド、昨年もWOCリレーで優勝。おそらく男子のオリエンティアでジョルジュと並んで最も有名な選手の一人)のいるチーム(第3チーム?)ということが判明します。そんなことがあるのかという気持ちでした。日本のXが盛り上がっていた気がします。電車に乗って移動中、既に入江はかなり緊張していたと思います。

 

さて、私はこの日(6/2)観客でしたが、なんとジェノバには6月からジェノバに赴任された井倉さん(ES関東クラブ)が来ていました。すごいタイミング…。一緒に観戦しました。

 

スプリントリレーが始まり、1走の女子選手がスタートしていきました。公園と市街地を組み合わせたコース。スイス第1チームが既に抜け出していましたが、14分ほどで次々にフィニッシュしてDanielもスタートしていきました。24位でスタートして順調な走りで20位くらいまで上げていきました。その瞬間はいよいよ訪れました。Danielから入江へのチェンジオーバー。集団で選手が帰ってきたため、注目がやや遅れてしまいましたが、確かにその瞬間を捉えました。強豪国の集団(トップから58秒!)の中で入江はスタートしていきました。Round1での不調が嘘のような走りでした。中盤で1つミスをして遅れたと言っていましたが、38位で4走の女子選手につなぎました。最終結果は33位。

上位は1位からスイス、フィンランドチェコスウェーデンは4位でした。

 

レース後に私もDanielと会うことができました。ありがたいことに写真を一緒に撮ってもらいました。井倉さんも。

 

入江は「Danielはチームを組んでもらえたことに本当に感謝している」「Danielやスイスのコーチは優しかった」と話していました。

 

こうして思わぬサプライズがありながら、全ての日程が終了しました。

一緒に撮ってもらった、感激。

井倉さんも。

 

 

ジェノバはWOC2026への立ち入り禁止エリアが非常に広く、街中を観光することはありませんでした。ミラノへ再び移動して、最終日くらい外食をするかということで30ユーロくらいのメニュー(パスタとワイン)を堪能しました。おいしかった。翌日飛行機が朝早いのに0時まで飲んでいましたね。

 

翌朝(月曜朝)、6時起床で午前8時半の飛行機に乗り、最短の行程(フランクフルト経由)で日本へ帰国。帰国したのが火曜の午前8時前(ヨーロッパと時差が7時間あります)。スーツケースの受け取りをして急いで家に帰って時刻は9時半過ぎ。仕事で10時から会議でした。全て予定通りだったとはいえ、あまりにもエクストリーム出社。17連休が終わって現実に戻されました。

 

思ったこと、雑感など

・レベルは高い。ヨーロッパからはスイスやスウェーデンなど男子だけで8人くらい出れるし(WOCは3人か4人)、逆に下位の国(主にアジアの国、中国、韓国、台湾など)は全然出てこないのでWOCよりもレベルが高いといわれることがあるのも納得。日本人では上位選手以外があまり考えずに行けば、「世界のレベルは高い、自分はあまりにも弱い」となることは必至。「貴重な経験を得た」というのは簡単だが結果を残すのは相当に難しいと感じる。同様の理由で目標を立てるのも難しい。

・タイムやラップでの差という客観的な指標で世界との実力差を測れたのは大きな収穫だった。一方で自分が並走したり追い抜かれたりした選手というのは(自分がラストスタートを2回引いたこともあり、)ほとんどは同じくらいのレベルだった。そのため、上位選手の走りを走りながら実感できたわけではなく、その走りの感覚をうまく言語化するには至らなかった。世界ランキングは上げた方が良い。

・さすがに世界レベルの大会の1つ。舞台は整っていると感じた。

・参加費は高い。3レースで6万超は驚いた。結局遠征トータルで50万くらい飛んだ。

・アジア選手の中では上に立つことを目標にしたが、香港選手は思ったより速かった。

・意外と話した選手はいた。スタートが近い選手はなんだかんだ話すものなのかも。オーストラリア選手やモルドバの選手とは何度か話した。

・当日掲示されていたスタートリストにbirth yearが書かれているのだが、95年生まれ(自分、28歳)は全体でみるとそこそこ上の世代らしい。99年生まれ(24歳)くらいが多かった。一人めっちゃ上の人がいると思ったらDaniel Hubmannだった。

・エンバゴー広すぎる、色々大変。

・入江に大会のこと色々教えてもらったので安心して遠征できた、感謝。

 

 

モデルイベントの写真、良き

 

最後に

ここで書くのもあれなのですが…。

全日本スプリント開催されることを祈っています。待っています。