横須賀スプリントの振り返り/CC7で骨折した話

これは、2023オリエンティア裏advent_calendar7日目の記事です。

 

こんにちは、GROKの吉澤です。

知らない人向けに私のことが分かりそうなことを書いておくと、CC7で骨折して腕に包帯巻いていた人が私です。そして、翌月のインカレスプリントのイベントアドバイザーをやっていました。何とか最後までやり遂げたという感じでした。(いずれも後述)

 

今年は裏も一瞬で埋まって驚きました。書きたい人が増えているのか、あるいはオリエンテーリングのコンテンツの幅が広がっているのでしょうか。

 

私は2022/12/29に実施した横須賀スプリントについて書かせていただきます。(advent calendarは12/25までなので昨年の記事にギリギリ収まらなかった話になります。)

 

横須賀スプリント

吉澤は横須賀で何をやったの?

市街地スプリントのイベントを開催しました。

形式はnavitabi使用です。

私は競技・運営・調査・作図・広報責任者&一部コースのプランナーをやりました。

 

横須賀ってどんな場所?

横須賀と聞いて何を思い浮かべますか?

海軍(海上自衛隊)・米軍基地とかスカジャンとかでしょうか。

とりあえず海のイメージがある方は多いと思います。

 

そんな横須賀市は実はトンネルの数が日本で一番多いと言われています。

横須賀は谷戸という行き止まりの谷がたくさんあるような丘陵地なのです。

その一方で人口も多く、たくさんの住宅がこの丘陵地に作られています。

 

今回の横須賀スプリントで使用した中でメインの場所は横須賀の中心駅、京急線横須賀中央駅の周辺になります。

 

複雑怪奇摩訶不思議な路地との出会い

最初の出会いは2021年5月のことでした。コロナの第N波でGWの予定が立たなかった私は、横須賀のヴェルニー公園のバラがきれいらしいと聞いて見に行くことにしました。

 

公園はきれいな場所で、しかも大きな艦隊が近くで見れて満足しました。ところでこの辺りの住宅地はgoogle mapにやけに緑色の点線が入っていることに気づきました。時間もあるのでここを歩いて横須賀中央駅まで行ってみることにしました。

 

寄り道してたどりついた道は…「これは道なのか?」と思うような細い道。路地と呼ぶのが正しそうです。しかし歩いてみるとすぐに終わるような道ではなく、曲がりも多く、雰囲気もその辺の住宅街の感じではなく、「なんだこれは…!」となったのを覚えてます。全身が鳥肌でした。

しかも最後に下りてくる場所は横須賀中央という横須賀の中心部につながっている。ここは異世界?という感想でした。一方でこれはあとから分かることですが、この日歩いた範囲はテレインの本当にごく一部でした。

プログラムにも記載した写真、すごい道

 

緑色の細線の道が多い

 

ここの市街地が如何にすごいのか

 

とりあえずこちらの動画の5:52以降を見ていただきたいです。youtubeチャンネルやってる人の動画(なんと14万回再生されてます、同じチャンネルのほかの動画より圧倒的に多い)です。この動画の撮影箇所はテレイン内なのでテレイン内の雰囲気が分かるかと思います。きっと初めて見た方は意味が分からないというか、本当に神奈川?どこかの海外じゃなくて?と思うでしょう。(というかこの動画見て頂ければこの記事の趣旨の7割くらい満たされます笑)

どこまでも続く究極の階段住宅地/天界の住宅地を歩く 横須賀 汐入町東部 緑が丘(神奈川県) - YouTube

 

見て頂けば分かる通り、規則的でない細い路地が続いています。家屋も古いものが多く非常に趣きがあります。

特筆するべきは

・この細い路地が伸びる市街地の面積が広い

・この市街地の一部は横須賀中央という京急の主要駅(快特停車駅)のすぐ裏(歩いて5分とか)にある、それが再開発されていない

・すぐ近くには高層マンションが建つという不思議な光景

というところにあると思っています。

 

まず面積ですが、今回100式で使った中で海岸沿いを除くほぼ全域はこんな感じの雰囲気です。つまり、めちゃくちゃ広いのです。細い路地は日本中にありますが、これだけ大規模に残っているのはとても珍しいです。

そして、この市街地は横須賀中央という人口40万の横須賀の中心駅の裏まで広がっています。この駅は全ての列車が停車し、横浜まで25分、品川まで45分、日本橋や浅草も直通です。こんな便利な場所は再開発されたり、マンションが建ったりします。おそらくは急峻な地形と細すぎる道がこれを妨害しているのだと思います。

さらにこの市街地からは横須賀の港も中心部のタワーマンションも時々見えます。このギャップが最高に面白いのです。私はこれを踏まえて地図名の副題を「Another Yokosuka」としました。横須賀の持つもう一つの顔がここにあるわけです。

 

なぜこんな不思議な市街地ができたのか、形成の過程は完全には理解できてないのですが、間違いなく関係しているのは横須賀の急激な人口の急増です。近世(江戸時代末期)まで横須賀は寒村でしたが、製鉄所の設置と軍港ができたことによって急速に人が増えます。さらに東京とを結ぶ鉄道が引かれます。軍人や工場の就労者が横須賀に移り住むようになります。明治17年に8700人だった横須賀町は昭和18年に35万人、終戦間近には40万人以上いたとされています。これは現在の人口よりも多いです。軍港であったものの激しい空襲を受けなかったことも影響していると思われます。

こうして市街地は狭い谷戸には収まらずに丘陵地の急斜面を上っていったとされています。

 

スプリントをするとわかるのですが、ここの道の細さというのは車がほとんど入ってこれないほど。ある意味では安全かもしれません。両手を伸ばせば横の壁についてしまうという路地はたくさんあります。

 

A4の地図を置いてみました。いかに細いか分かります。

 

急ピッチな調査作図で練習会開催

 

紆余曲折あり、一部エリアの調査を進めて翌年(2022年)5月にGROKの大橋が組んでくれたコースで内部練習会を企画しましたが、GROK内で予定が合わず。代わりにKOLCの後輩と1度試走を行いました。みんなめっちゃつぼりました。このときの調査エリアが「横須賀上町」です。

 

夏は暑いので調査してませんでしたが、急に11月にGROK主催で100式やるよと発表しました。これは理由があります。

 

まず、10月になって翌年(2023)の1月に仕事で異動があることが発覚しました。

ここまでテレワークであったため、どこに住んでいても影響なかったのですが、1月からは新宿に週5出勤となることが決まりました。

住んでいた金沢文庫は新宿に毎日通うには厳しく(片道90分)、実質的に引っ越す必要がでてきました。ここで金沢文庫にいるうちにやっておきたいことリストを作りました。そしてその中で圧倒的に1位だったのが横須賀全域を調査することでした。この面白すぎる、人生で2度と出会えないかもしれないレベルの市街地の地図を完成させないのはあまりにも勿体ない。

 

もう一つ、GROKは正規クラブではなく、ずっと一般のクラブでCC7に出ているのですが、それを正規にできないかということを考えていました。正規チームで出るには練習会を何度か開く必要があります。そのための一つの案として練習会を開きたいというのが自分の中でありました。

 

練習会にはアイデアがありました。それは100式をやることです。

下見段階で残りの市街地は路地の作りは面白いものの、それそれのエリアで完結してスプリントをやるには少し物足りない。ならば距離は長くなっても全域を回るようなコースを組みたい。これが許されるのが100式でした。100式は年末の風物詩。季節的にぴったりです。

さらに横須賀はトンネルが多くて立体交差がたくさんあります。これを使えば、信号や踏切で止まらずに戻ってこれるコースが組める。そう思うだけでテンションは爆上がりでした。

コントロールは置けませんが、100式は1秒を争うというよりは頑張って走り切るのが趣旨として近いので、これはnavitabiで良さそうでした。

 

勢いで練習会の開催を宣言してしまったのは良いのですが、このとき既に11月の上旬。練習会は12/29でもう1か月半しかありません。調査したい範囲は1km×3km(!!)でそのうちおよそ半分がほぼ作図ノータッチでした。自分の手で完成したいものなので、とにかく自分のリソースをつぎこむしかありません。

 

地図調査は20回以上行い、直前まで晴れの日も曇りの日も風の強い日も、土日も平日の朝や昼休みも調査をしました。特に500m四方の公園(横須賀平和公園)、海岸沿いの大きな公園(ヴェルニー公園)とコースカと横須賀芸術劇場という商業施設の調査・作図に時間を要しました。GROKの大橋氏にもアドバイスをもらいながら作図を進めました。調査・広報用に撮った写真は802枚もありました。

 

調査帰りのイルミがきれいだった、これが表の顔。

 

 

当日はGROKのメンバーと運営を行いました。

 

 

練習会の工夫

<100式のコース>

以下を満たすように組みました。

①信号と踏切を横断しない

②なるべく人の多いエリアを通過しない

③不毛なレッグを作らない

④UPが極端にきつくならない

⑤調査範囲を可能な限り広く使う

⑥スプリント要素を入れる

 

①:このテレインは鉄道はトンネル内を多く走行し、大通りは跨線橋があり、市街地はそもそも路地が細すぎて信号が少ないという絶妙な条件でした。そのため、10km以上のコースでも工夫すれば信号、踏切を通過しないように組めます。やはり安全を考えても、一応計時するというのを考えても、通らなくて済むならそうしたいですよね。この制約は結構大きくてこれを考慮するだけで回しがほぼ決まりました。

②:横須賀は40万人都市。中心部は当然人が多くいます。特に横須賀中央駅は顕著でこの周辺の回し方には注意しました。

③:100式ってこれいるの?ってレッグが生まれがち、特に変なループ作りがちですが、今回はそういうのを入れないように作りました。(無理やり変なコントロール入れて108式にはしませんでした)

④:まあ横須賀ならUP500mくらいまでは仕方ないかなと思っていましたが、作ったコースで等高線数えたら370m。跨線橋や2階へ行く階段のUPを含めても500mには達していないでしょう。

⑤:JR横須賀駅の南西側とかが残りましたが、9割くらい使いました。

⑥:市街地とヴェルニー公園では結構2択のルートチョイスがあったと思います。

 

結果的に難しい市街地と海や公園のエリア、立体交差の建物を行き来し、緩急のついたコースになりました。ずっときつい登りがあるエリアを使わないのもポイントですね。景色が良かったという声が多かったです。

 

 

<競責的な観点>

〇コースコントロール

・私有地に入りそう、境界が曖昧なエリアを避けています。これはこのテレイン特有ですが、入らせたくないエリアがたくさんありました。コントロールしなかったら米軍基地入る人と民家の玄関に突っ込む人が出てたでしょう。

〇衝突リスクを減らす

・道が細いので交錯するようなレッグを減らしました。

・フリースタートを採用しました。

・人数も50人に絞りました。会場のキャパ的にもこれくらいがちょうど良かったです。

〇地図の縮尺

・100式は1:3000、sprint_cityは1:3500を採用しました。1:4000では全然読めなかった(それくらい細かい)。

〇地図の大きさ

コンビニだと印刷できるのはA3が限界です。3枚以上に分けないといけないとなると走る人が地図をひっくり返したりする手間が増えます。なんとか表裏1枚に収めたい。

そこで片面を縦、片面を横にする特殊2map制を採用しました。次のレッグを読んでおかしくならないギリギリのところに地図を裏返すところを設定。そして、その箇所(50番)にマーカーで色を塗るという作業を行いました。

スタートゴールが同一なので、同じことが裏から表にする際にも起こります。地図全体からコースで必要な部分をうまく切り出し、絶妙な箇所にコントロールを置くことで乗り切りました。あと50mでもずれると入らなかったです、ひやひやした…。

 

ちなみに、A3が入るチャックビニは普段あまり見ませんが、パッケージプラザに行ったら売ってました。ただ、A4よりだいぶ高かったです。

 

<運責的な観点>

〇少人数のゆるいイベントとしてこんなことやってました

・帰省のお土産の配布(大分や博多土産がありました)

・navitabi使わない人もいたのでアナログな表にタイムを各自で記載

・感想を書いてもらう紙を用意

・運営者も走る

 

→参加者が少なくて地図セルフピックアップ、navitabi使用とすれば、運営側でやることはだいぶ少なくて済むことが分かりました。なので、運営者も走る余裕を作れました。コントロールの設置・撤収もないので、私が朝会場来たのも開場30分前とかです笑。

 

当日の参加者の声とか

平日だし、近場の大学生だけかと思っていた参加者の層。

ふたをあけてみれば社会人では遠くは関西から(帰省ついででしょうか)!北大の学生もいる!あの高橋厚さんもいらっしゃる!もちろんエントリー王やいつもよく見かける方もいました。

 

参加者はそれぞれのレースを終えると…

難しい、道ヤバすぎ、めっちゃつぼった、どうなってるんだこの市街地…などと、まあ予想通りの声が聞こえてきました。この日初めて走った運営者も同様。地図描いた甲斐がありました。面白かったのは「どうやって配達しているんだろう」…って感想ですね(実際、宅配の人が荷物をかついで階段登ってます。以下の動画の16:28あたり参考。旧浦賀道に沿って展開する天の里/天界の住宅地を歩く 横須賀 汐入町西部(神奈川県) - YouTube)。一方でヴェルニー公園や海沿いのエリア楽しいなんて声も。

 

先ほど当時の資料を見たらタイム表(手書き)が出てきました。リラックスしてやってた選手もいると思います。敬称略。

 

sprint_city 2.9km ↑75m  (2.5kmって書いてたけどこれくらいあるようです)

根本(け)  15:56

斎藤佑樹   17:29

松尾(怜)     17:35

藤原    19:02

祖父江   19:43

村上巧   19:48

竹内    19:51

 

※吉澤試走 18:36(2022年5月)

 

計測した方のうち、これ以外の方は20分超えています。

 

100式 13.0km ↑390m

TOP3のみ記載

祖父江       1:21:06

斎藤佑樹   1:24:53

松尾(怜)1:32:19

 

※タイム表への記載なかったですが根本(け)も80分くらいのようです

 

コメントを紙に書いてもらったのですが、「よく調査したな!」「海がきれい」「とり天せんべいが美味しい」「いいテレイン」「1年の最後をかざるのにふさわしいオリエンテーリング」「階段きつかった~楽しかったです」などありました。中でも最も印象に残ったコメントは「今まで走った全世界の街スプで圧倒的No.1の細い道!」でした。やっぱ細いんですね。

 

感想書いてもらった紙

 

GROKの運営陣は終了後、横須賀でカレーを食べて私の自宅で打ち上げとボードゲームをやりました笑。

 

素晴らしい時間を参加者とGROKのメンバーと一緒に過ごせて良かったです。市街地の面白さを知ってもらえて嬉しかったです。楽しかった~。

 

運営陣

 

そして、このテレインは香港のアジアユースのスプリントリレー市街地にかなり雰囲気近いんじゃないかと思っています。なので気になる人は使ってみてください。

 

 

オリエンテーリングで骨折するとどうなるのか

大怪我の内容

話ががらっと変わります。

怪我とか痛みの話が苦手な人は一番下の章まで読み飛ばした方が良いです。

CC7の1走をやっていたのですがビジュアル後の足場の悪い斜面で左腕(橈骨頭)を粉砕骨折しました。(声をかけてくれた方、会場で看護してくれた方などありがとうございました。)当日は諏訪の病院の救急科に行きました。あくまで応急的対応でこの日はレントゲンの撮影と固定しただけでした。

その後、整形外科に行きましたが橈骨頭の粉砕骨折と分かりました。いわゆる重傷・大けがでした。

手術はすぐにはできず、およそ10日後に入院して行いました。

そのときの手術法はスクリュー(ボルト)を入れる、あるいは「人工橈骨頭置換術」と書かれていました。人工橈骨頭置換術というのは人工関節を挿入するということを意味します。人工関節は回復が良くない場合(=可動域によっては)障碍者手帳交付の条件を満たします(橈骨頭は対象外)。これを調べたのが術後だったが、まあ思ったよりヤバかった。

最終的にはスクリューでの手術となり、5本のボルトが腕に入っています。

全治は3か月と言われていますが、まだ可動域は大きくありません。痛みはだいぶ消えました。

今もリハビリをしています。

 

なんとかならないかなーと思っていること

今回のCC7はけが人が続出したと聞いています。保険申請してる人がたくさんいると。

千田刈の森は足場が悪い上に笹で岩が隠れているようなテレインです。

結果的に私は大けがをしたわけなのですが、オリエンテーリングは参加者の意思で参加者の決めたルートを走ってるわけなので、けがは(よほどコースが悪いとかではない限り)自責です。

 

しかし、けが人の続出には単純に足場の悪いテレインということの他にいくつかの要素が絡んでいると思います。

1つ目はCC7という特殊な大会であること。おそらく日本のオリエンティアのほとんどが参加する、日本で一番参加者数が多い大会です。クラブにとっても大きなイベントですし、非アクティブなオリエンティアでもCC7だけは行くという人はたくさんいます。「テレインが良くないから参加しない」という選択肢はまずありません。今回のテレインは個人的にはなるべく避けていたテレインだったのですが、CC7だったので参加しました。

 

2つ目はリレーであるということ。ファシュタが絡むということです。個人レースであれば別に自分のタイムが遅くなるだけなのですが、リレーで自分の走りが遅くなることはチームの結果に直結します。ちょっと足場が悪くてもリレーなので(自分のペースではなく)スピードを出してついていくという行動を取りがちです。というか1走のファシュタで足元なんてそこまで気にしてられません。

 

要するにある程度リスキーな状況で走らざるを得ないということです。

 

今回思ったのはリレー競技(特に多くの人が出て順位を目指す大会、CC7や全日本リレー)は足元がそこまで悪くないテレインやエリアでやってもらえると嬉しいということです。別に岩のないテレインでやるなというようなことを言っているわけではありません。大部分のリスクが低ければ良いという話です。

色々制約はあるんでしょうけど、テレイン選択の際など考慮する一つの材料としていただければ幸いです。

 

経過

・けが直後はどんな痛みだったのか

→2分くらい立ち上がれなかった。痛いのは腕なのに走ろうとすると衝撃が腕に響くのか走れなかった。骨折なのは感づいていた。

 

・どうやってゴールまでついたのか

→急斜面を登れる気がしなかったため、斜度が小さい斜面を通って帰ろうとした。

 レッグ線を辿ればちょうどうまい感じに行けそうだった。頑張れば回れる気はしていたのでビジュアル後のコントロールは全て回った(良くないです)、地図が持てない状況なので1レッグは2秒くらいしか読んでおらず、コンパスで方向だけ確認して流れについていったら基本的にコントロールにたどりついた。1走ってこういうもんか。

 

・インカレEA問題

→インカレ準備は最終試走も終わり、プログラムの内容もかなり詰めていた段階ではあった。ただ、CC7から3日後には、インカレ2週間前準備の土曜日に入院がかぶることが確定してしまう。主に公式掲示板作成に影響が出ると考え、急遽谷野をアシスタントEAに据える。忙しい中で申し訳なかったが、他にできそうな人がいなくて、動いてもらった。早い段階でEA2人体制に、実質的にはスイッチした。

 

・筑波大大会

実はギブスで出ていた。あらゆる人に驚かれる。なるべく体力を落としたくなかった。

ジョグ程度で回ったが、最難関の立体交差レッグは読み切れていてベストルートを選択して、8位を記録。これだからスプリントは面白い。しかし、日本ランキングで「レースが遅すぎで計算から除外」されずに、なんと点数がついてしまう。ここまでランキングは23位とかだったので筑波大大会の点数が跳ねた一因だったかもしれない。

午後のノックアウトスプリントリレーはとても楽しみにしていたが、おとなしく観戦。

しかしせっかくなのでと思い、OK-info用のネタ集めと取材をすることができた。記事は#192_難解なキャンパススプリントを堪能 - 第43回筑波大大会 - OK-Info (hatenablog.com)

翌日の根本一門はスピードレースのため、順位は100位台だった。

実はオリエンテーリング・ランニングイベントは運よく一度もキャンセルせずに済んだ。

 

・手術

→手術は全身麻酔+神経ブロックで行った。手術後の麻酔が切れたあとは腕が握りつぶされるような、この世のものとは思えない痛みであった。同時に猛烈な発熱で平衡感覚を一時的に失った。あまりの痛みでほとんど寝ることができなかった。痛み止めが2時間に1回とかしか投与できないもので絶望した。土曜の朝、退院できますよと言われるが、「この痛さで本当に退院するんですか…」と思わず言葉が漏れた。正直なところ、退院翌日は行けたら笠間に行こうと考えていたが、とてもそんな状態ではなかった。家にたどりつくのがやっと。

 

・手術後の経過

→3日間くらい、あまりの痛みと発熱でほぼ何もできず。特に夕方から熱が上がる傾向にあった。左手が使えないので本は読めず、アニメを見ているだけでも苦しい(スラムダンク金色のガッシュベルを見ていた、内容は面白かった)。退院4日目は誕生日であったが、なかなかきつい誕生日であった。ただ、インカレのプログラム原案は退院翌日から目を通したし、当日も現地の谷野に状況を確認していた。

インカレの一週間前準備は文字通り、身体を張っていた。荷物を持って集合場所の新宿駅まで行くだけでもきつかった。手を使ってものを持つことがまだほとんどできなかった。現地の確認を行ったが、まだ歩くのはかなりきつかった。地図の確認も行った。さすがに24時には寝かせてもらった。それでも誰かに会えて話せるのは嬉しく感じた。

徐々に痛みが引いていくが、発熱はインカレ直前くらいまで続いた。インカレは何とか自分たちが準備した舞台で選手が走っている様子が見れてよかった。

酒とカフェインと運転が禁止されていた。つらすぎる。

 

・仕事

合計で3日間休んだ。むしろ3日しか休んでないことに驚く。

けがしてから出社だったのをテレワークに変えてもらった。有給残が多くなく、テレワークにできないと言われたら休職もやむなしといったところだった。

左手でのタイピングができなかったのが大きかった。しばらくは右手だけでやっていた。ちなみに現在も一般の人がするようなタイピングは左手でできない。腕をひねる角度が足りていないらしい。

リハビリは勤務中の休憩時間を増やして通院している。

 

・日常生活

当初はシャワーを浴びるのが大変だった。服の脱ぎ着が難しいのに加えて、幹部に防水のものをつけていた。

食事の際にお椀を持ち上げられないなんていうこともあった。

最も困ったのは左腕の握力がかなり低くなり、ペットボトルのふたや菓子の内袋をを一人であけられなかった。

左腕は利き手ではないし、使えなくてもそこまで困らないと思っていたが、相当に困った。

 

・費用

入院手術だけで8万円。その他で5万円以上だろうか。

一部(通院1日あたり1000円)はオリエンの大会で加入している保険で出るようだ。

 

・復調

歩くことはかなり無理しながらも退院4日目から行った。インカレ直前からちょっとずつ走り始めた。インカレ翌週にギブスが取れてここから40km/週くらい走った。最初はkm4分で走れなかった。

10月は月80kmほどしか走れなかった。

 

それでも地力は残っていた。11月はだいぶ回復して70km/週くらい走れる週も増えてきた。

 

11月下旬からの土日は

東北大前日大会(スプリント)&つくばスプリント合宿(30km)

→井頭公園スプリント&つくばマラソン(42km)

→渋川から利根川江戸川沿いを走り、ディズニー(江戸川河口)まで行くウルトララン(170km)

と3週連続できついランをこなした。今あげたイベントだけでも250kmくらい走っていた。持久力は回復してきた。あとはスピードといったところ。

 

回復までの相当な時間と痛みとお金を費やすことになるので、皆さんも怪我には気をつけてください。

 

全スプ

昨年度の全スプの井頭公園はだいぶ対策していた。ちょっとやり過ぎたくらい。

全スプ(井頭公園)振り返り - good_outdoorのブログ (hatenablog.com)

昨年度の全スプは後半でミスを重ねた形だったが、実はビジュアルまで12位で走れていた。

 

 

今年の全スプのエントリーが始まってすぐに、MEで走れるだろうとエントリーした。

上述のことを根拠に目標は10位と書いた気がする。

実際8月までかなり調子は良かった。3000mは9分台が出て、北東セレ参考記録ながら全体トップタイム、北大大会入賞。ランキング10位台の人にも勝てることはしばしばあったし、この調子で走れれば決して夢物語ではないと思っていた。

しかし、エントリーからすぐ。骨折したため、スピードが露骨に落ちてしまった。

回復はしてきているが出せる力は骨折前の9割くらいだろう。これはスピードレースのテレインでは相当に痛手。正直20位でも厳しいだろう。

 

だが、たとえ10位が目指すのが厳しくても、過去の自分には絶対に負けたくないと思っている。全スプ過去最高順位と納得できるレースをすることは譲らないつもりだ。

 

準備していきます。よろしくお願いします。