全日本スプリント振り返り

駒沢公園の全日本スプリント。結果はコントロール飛ばしによるDISQ。完走でも27位。渋いレースだった。

 

<対策とコンディション>

対策は入念にした方だと思う。昨年のように地図を新しく書くことはしなかったが、スタジアムの構造の把握は時間をかけた。1F⇔2Fの移動の導線、スタジアムへの入り方、どこの柵が空きそうなのかというのはしっかりと確認した。

 

スタジアム部分が難解、橋の立体構造は面白いから使うだろうが知っていればそこまででもない、あとはパークOでスピードが出せる、コンピを組みやすいのは左上のエリア…などといったことを考えていた。

 

旧図とストリートビューは早くから読み始めたがコースを組むのは遅かった。PCの充電器が不調で年末年始でPCを動かすことができず、最初に組んだのは1/4だった。紙で印刷して手書きでやるべきだった。

 

1/5夜に一緒に対策していた桃井、桑原、そして用松、清水と対策zoomを行った。プログラム、公式掲示板の読み合わせを行ったあとで立体構造の説明、特にスタジアム周りはどういう階層をしているのかという説明をした。さらに桃井が組んだコースでランニングワイルドを3コース分くらいやった。ランニングワイルドは初めてやったが、対策としてかなり実戦に近いところまで落とし込めている気がした。驚いた。

 

1/6、つまり本番前日にまあこんなもんかなと思うコースが組めた。コースはサイクリングロードの柵をいくつか塞ぎ、さらに人工柵を多少設けた。優勝予想タイムと東京の公園ということで人工柵は少なめ、コントロール数もそこまで多くないだろうと予想した。これよりは簡単なコースだろうと思いながら作成した。ランニングワイルドのコンテンツにもしてもらった。

 

予想コース

スタジアムを通る13→14と16→17、19→20が肝。13→14はスタジアムを通るかサイクリングロードを渡るかの2択。これは本番の14→15の逆向きに近かった。16→17、19→20もスタジアムを通るルートを検討するレッグとなっている。19→20も本番の3→4と同様に一度スタジアム脇の通路を通るのが早い。また自分で言うのもなんだが、19の下側の2本の人工柵は面白い置き方だと思う(現地では塞げないかもなとは思ったが)。また、11→12はサイクリングロードで外巻きするか、内側を攻めるかという要素があり、これも本番の3→4の要素にやや近いかもしれない。

スタート近くのループ橋の北はスタート地区から競技者の動きが見えそうだと思い、立ち入り禁止にしてみた。(実際はループ橋を下ってくる人が見えたがミスルートらしい)

コースとしては結構良い感じのなのでは?と思っていた。なお、実際の回し方はだいぶ違った。スタートの位置も上側の階層だったし、最初から南に回すとは思っていなかった。

 

あとはおまけ程度にフィジカルとかのことを書いておくと、9月の粉砕骨折はだいぶ回復したが、ペースはキロタイムでピークより10秒遅い状態。スプリントも東北大前日、真岡、潮風公園と全く結果が出なかった。特に11月中は40位も無理だろうと思っていた。それよりも12月に3度も発熱し(ウルトラランの疲労、インフル(解熱まで5日)、牡蠣にあたる(体重2kg減))、完全に全日本に向かっていく気持ちが失われていた。気持ちが戻ったのはプログラム出てから。KOLA大会で3位入賞して自信を取り戻した。

 

12/29は目白でスプリントトレ、12/30に野川公園自主トレ、1/3はKOLA大会に出るなどスプリント練習は欠かさなかった。これは良かったと思う。

 

 

<当日スタートまで>

当日駐車場からスタジアム通路を通り、会場入り口までで見える範囲をりょうすけや萌恵ちゃんとかと入念に見た。3つくらいコントロールが見えた。北側のA藪とオープンの境くらいに青黄、このエリア通れないのだろうか。さらにスタジアムすぐ西の広い舗装区域に青黄があるのに気づいた。南から来るとスタジアム通路に一度入らないと北に抜けられないことはこの時点で分かった。

デフケースを買う機会を逃していて当日会場で買った。

選手権待機所着いたら案の定、暇で選手と結構話した。前日に安全ピンを箱で買ってたから他の人に数本あげる余裕もあった。途中でボードゲームした。1から100まである数字のカードを円状に置いてくみたいなやつ。結構面白い。なんか勝ってしまった。

待機所の入り口付近からは一般の選手が結構見えた。一般の勝負レッグで階層を間違えてツボっている人がたくさん来る。インカレの選手権出るレベルの人でも結構間違えている。渡河点以外でサイクリングロード切っている選手も結構たくさんいた、大抵はあとで気づいていたけど良くない。(あとから見たらD藪表記の)建物脇の超細い通路を行って多分行けなくて戻ってくる選手も。コントロールは2階部分についていて、階段で登る必要がある。確かに何も対策していなくて初見だと難しい。

 

アップはいつも通り。他に東北大前日大会と新潟全日本の地図を読図した。

一般の表彰で桃井が優勝しているのを知った。さすが。

女子選手の動きはビジュアル後だいたい左に行ってた。北へ行くレッグが来るのだろうか。

桑原も早そうだった。ついに大きい大会で結果残したなと。(後で見たら3位、すごすぎる。おめでとう。)

自分も結果残したい、そんな風に思っていた。それと2人ともかなり早いのは対策がハマっているのだろうか。それなら行けるんじゃないか。

 

<レース>

前は小山さん、後ろは小寺だったが、追いつきたいとか追い付かれるかもとかは、あまり意識してなかった。小山さんとはレース前結構話した。

北江がスタート1分前にいた。

スタートが上の階層なのは把握していた。

 

△→1→2

スタートして階段を上ると、橋へ行くのにどこを通ればいいのかパっと分からず、いったん柵のかかっている橋に行ってしまった。10秒以上のミス。そこからのルートチョイスは何度もランニングワイルドでやったものだったので難なくベストを選択。橋のところで名前呼んで応援してくれる人が何人かいた。1の斜面で転倒。少し焦る。1→2で上に脱出してしまい、これは遅い。

 

2→3

2で止まって読んでしまった。全体的なことだがいつもより緊張していてルート選択に時間をかけてしまった気がする。距離的にはベストルートだったが3の手前階段でなくスロープを登ってしまう。

 

3→4→5

これも読み切れておらず、数秒止まって読んだ。真ん中ルートが見えて遅くなさそうなので選択。外側(サイクリングロード)は見えてなかった。この区間は意識的にプッシュ。ラグビー場(?)周りまで来ればナビが簡単なので先を読む。「4→5は左右比べて右が全然短そう。A藪を突っ切るのが早そう。」

4→5もサイクリングロードの渡河点だけ気をつけていく。

 

5→6

「さっきの柵を戻り、道を渡って右」という頭だったが、誤ってさっき渡った渡河点でサイクリングロードを渡ってしまう。A藪に迷い込む。ラグビー場?が見えておかしいのに気づく。サイクリングロードを渡る時点でなぜ気づかないのかって感じのミス。戻って6へ。ミスタイムが25秒つく。結構やったなという感覚。

 

6→7→8→9

基本走るだけ。が、8の脱出ででかい道出るときに立ち入り禁止に入りかける。この日、全体的に脱出の意識、次のレッグの意識が弱かった。

 

9→10→11→12→13→14

9→10は右、10→11は左を選択。10→11で右ルートは読めてなかった。

この後11をスルーして12に向かってしまうのだが、これがなにが原因なのだかずっと分からなかった。だが、どうやら手前にA藪にあったポストを見て何かしらの理由で勘違いしたらしい(位置はかなり違う)。実際そのあとは少し現ロスした感覚だった。

飛ばしたことなど一切気づかずにスピードを上げて12に。この辺りでもうほとんどこの先のルートチョイスはなく、走らないといけない区間だと気づく。12→13→14も必死に走るが、14→15は読めていなかった。

 

14→15→16→17→ゴール

14直後でまた止まる。このルートチョイスも結構やったはずだがサイクリングロードのルートを選べず。15番手前の階段が塞がれているのがあまり認識できておらず、実行でもミス。相当悪いルート選択したなという感覚。

15からは再びスピードを上げる。16が見えてから地図は見ずにひたすら走る。ゴールまで距離結構長いなと思った。

競技場入ったら遼平の実況が聞こえた。なんか自分のこと話していた。気持ちが良い。実況してるってことはそんなに悪くないのかなと思いながらフィニッシュ。すぐ前にゴールした小山さんが見える。抜けなかったらしい。あんまり良くなさそう。

 

5→6がいらないミスだったなと思いながら計セン通すと不通過を告げられる。腕の方も読み込むが不通過。嘘やろって思いながら地図を見ると該当コントロールに確かに行った記憶がない。しょうもないミスで全日本が終わってしまった。

 

あんまり話す気にもなれなかったがボードを見たら中野、そして碓井が早い。碓井には自分が完走していても1分くらい負けている。碓井は最近全然走ってなさそうだったから本当に驚いた。stravaに記録載せてなかったんだな。後で聞いたら我々がやってたランニングワイルドもやったらしい。ぬかりがない。そして中林とかと戦況を見ていた。

 

用松早そうだが本庄がさらに早そう。あの用松より1分早いって何事。

本庄が15分切ったと聞いたときは驚いた。このコースで15分出るのかよ。

さらに小牧が本庄より早いタイム。信じられなかった。すごすぎる。

ねもけい、りょうすけ、ばなさん…順当に早い。

そして気づいたら碓井が入賞していた。おめでたい。

 

 

あとでラップを見たら用松もビジュアルまで6位とかだった。おしい。

結局一緒に対策した中で良いところなし、かすりもしなかったのは自分だけ。悲しくなった。

 

ライバル選手に用松と碓井はずっとあげているのだけど、随分離されてしまったなと思うと同時に、目指しているレベルとしては決して間違ってなかったんだなと思った。

 

<ラップを見て>

タイムは17:24。11番に行っていると+7-8秒くらいか。△→1、5→6のミスを除いてやっと16:50。トップと遠いのはもちろん、入賞ラインからもまだ40秒以上ある。

巡行は110で思ったより出ていたが、戦えるレベルではなかった。結果を見ると巡行106くらいないと勝負にならない。

ミス率は推定9%くらいあった。こっちもしょうもないミスをなくさないとどうしようもないが、いまいち真因が分からない。走力低下から走りに余裕がなく頭が回らないというのが仮説だが果たして。

 

ちなみに翌日の上尾大会でもDISQした。こちらは同一特徴物の隣ポが先に見えてしまったもの。終盤の地図の読み込みが甘かった。

 

<雑感>

・そんなに人多く感じなかったが、バスケコートのところは確かにパープルかけていて正解、たくさん人いた。

・駒沢で概ね事故もなく開催できたのは普通にすごい。コントロールガードや渡河点役員がたくさん人数集められたのが大きいのだと思う。

・璃土くんのところに実行委員長挨拶後すぐに行った。まだ若いのにすごいな。彼はEA研修会で一緒だった数少ない若手だったので、色々と思うことがあった。お疲れ様。

・総じて運営陣すごい。本当にありがとうございます。

・女子結構ビジュアルコントロール飛ばしていた模様。稲毛さんはもちろん、鷲津さんも入賞惜しい。

・ラスポゴール200m(?)走で女子選手に敗北。羽鳥さん速すぎるやろ(2秒差がついた)…、さすがインカレチャンプ。川瀬さんも速い(同タイム)。

・ランキングポイントでMEはまあこんなもんかって感じだけど、M21Aが跳ねすぎてる。一度60位圏外に落ちる気がする。ペナの罪は重い。

 

<今後>

変わらず上を目指そうと思う。

走力UPに力を入れる方針も不変。

ただ、今年はスプリントのランキング大会になるべく出ようと思っている。

今年はたくさん実戦したい。

そして自信をつけたい。

スプリントの合宿、非公開練習会などあったら是非お誘い下さい。

 

 

 

 

利根川江戸川サイクリングロード(170km)ウルトララン

2023年12月2-3日で170kmのウルトララン(ロード)を完走したので書いてみます。

(ログは分割されてしまいました。)

前半

後半

 

 

はじめに

東京と千葉の境にある江戸川。この河川敷を走ったことがある人は多いかもしれないですね。サイクリングロードが整備されていて非常に走りやすいです。

では、このサイクリングロードがどこまで続いているかご存じでしょうか?

このサイクリングロードは江戸川・利根川の分岐点を越えて、利根川を上流に進んだ群馬県渋川市吾妻川公園まで続いています。その距離はおよそ170km。

 

さて、渋川から逆方向に進むことを考えると、最後に旧江戸川に入ればディズニーランドに到着します。群馬からディズニーランドまで行くなんて夢のようですね。では、これを走ってみましょう、しかも自転車ではなくてランニングで。

 

これが今回の企画です。

 

170kmを走ることにした理由

2021年のウルトラオリエンテーリングで100マイルの存在を知り、挑んであっさり跳ね返されました。当時走れたのは100km。

しばらく100km以上は避けていましたが、なんかの時に利根川サイクリングロードはどこまで続いているんだろうと調べてしまったんですよね。そうしたらちょうど170kmになると。先端から最後まで走れるしロード100マイルも達成できる、一石二鳥でこれは走るしかないですよね(謎)。

あとは新大のoois氏と100マイルの話をよくしていたからだと思います。やっぱ周囲にそういうことしてる人いると挑戦してみたくなりますね。

走りこんでる距離的にも今年は自己最高(平均で月200km超)で、最後まで持つんじゃないかなという自分への期待もありました。

 

 

170kmとはどれくらいの距離なのか

さて、170kmってどれくらいの距離なのでしょうか。とても長いとは分かっていてもいまいちピンと来ない人も多いでしょう。私ももちろんその一人。

 

起点を東京駅として、ざっくり調べてみました。

まず、オリエンティア界隈でも有名な日光。東京から東武日光まではgoogle mapの最短経路で130km、yahoo乗換案内で137kmです。同じく年に何度か行く矢板も距離はほぼ変わりません。

次に富士(ここでは富士山こどもの国としました)を調べてみましたが、日光・矢板より近くて120kmくらいです。

つまり、よくオリエンテーリングで行くテレインまでの距離よりはだいぶ長いということです。

 

調べてみると170kmというのはだいたい以下に相当します。(いずれも最短ルート)

・東京駅→静岡駅(171km)

・東京駅→勿来海水浴場(福島県、174km)

・東京駅→三国峠(群馬・新潟県堺、170km)

・東京駅→小淵沢駅(167km)

 

遠くない???

想像以上でした。全部関東じゃないですもんね。

 

ルール

 

・コンビニ・自販機・その他店舗の利用は自由

・制限時間36時間以内

・荷物の輸送の禁止(誰かに荷物を運んでもらうのはNG)

・仮眠する場所は屋内・屋外問わず自由。ルート上以外でも良い。(後述)

 

36時間以内にしたのは、以前挑んで完走できなかったウルトラオリエンテーリング(175km)が36時間以内だったため、これに倣いました。

冬に実施する都合上、仮眠する場合は屋内で仮眠しないと最悪生死(少なくとも風邪をひく)に関わるのですが、いかんせん夜間で通過しそうなコース上にホテルもなければ、24時間営業のネットカフェもカラオケもありません。大きな町は羽生を過ぎると、70kmくらい先の三郷・流山くらいまでないのです。(春日部は中心部が川から離れてる)

仮眠場所も本当は条件を課した方が良いのですが、割とどうしようもなく、ここは妥協しました。まあ完走できれば良いでしょうと。

 

コンディション

<身体>

4月-8月まで250km前後を走っていましたが、9月下旬に腕の粉砕骨折とその手術があって、1か月ほど走れなくなりました。リハビリは今も続いています。10月半ばからトレーニングは再開しました。

実はこのウルトラランの前の週にはつくばマラソンがありました。3時間をギリギリ切れなかったものの、比較的回復は早く、木曜にはペース走をしていました。

身体の調子が悪くないことを感じ、マラソン1週間後ですが、挑むことにしました。

ちなみにこの週のスケジュールはあらかじめ空けておいたのですが、なぜ空けているのか思い出したのは木曜日でした。急いで実家にシューズを取りに行きました。

<天気予報>

2日とも晴れ予報でした。ちょっと寒そうですが、決行を決意します。

 

170kmの長い道のりのスタート

前日の金曜は意外と仕事が終わらず、20時まで仕事をしていました。

食事やら準備やらで寝たのは23時。寝る時間を削られてしまいました。

土曜日は予定通り朝5時に起床して渋川に向かいました。大宮→高崎で鬼の新幹線課金しました。疲労軽減と少しでも睡眠時間を確保したいというのが目的です。普段は絶対やらないです。新幹線で朝食の菓子パンを2つ食べました。

渋川に前泊することも考えましたが、当日の始発でも8:30にはスタートできそうなので見送りました。何よりも仕事が全然終わらなかったので結果的には正解でした。

 

渋川駅ではnewdaysのコーヒーを飲み、補給用のゼリー飲料を購入。8:20のバスに乗り、「地蔵前」というバス停で降車。このバス停からスタートの吾妻川公園までは1kmほどです。

吾妻川公園は利根川サイクリングロードの終点です。突然舗装路が終わっています。入念なアップを済ませて、スタートします。この時の時間が8:50。翌日の20:50が36時間の制限時間となります。

サイクリングロードの舗装が突然終わる。ここが吾妻川公園

終点の表示

 

 

 

<吾妻川公園→玉村町のコンビニ→坂東大橋(40km地点)>

 

最初は利根川ではなく、支流の吾妻川という川沿いを走ります。川沿いといっても木々でそんなに川見えるわけじゃないんですけどね。

ちょっと道が単純ではなく、道路を横断したりしますが4kmほどで渋川に着きます。

渋川の大正橋で利根川に合流します。ここからは整備された分かりやすいサイクリングロードが続きます。右岸を走ります。

走っているとこんな看板が出てきました。

「海から186.5km」

絶望しそうな看板ですよね。でもよく見るとこれは銚子の利根川河口までの距離のようです。向かうのは旧江戸川河口です。でも0.5kmおきに出てくるのでなるべく無視していました笑。

海から186.5km

 

 

13kmくらいで早くも靴擦れし始めてることに気づきます。紐を固く結びました。

 

途中前橋のあたりでは見たことある光景が出てきます。私は昨年ぐんまマラソンに出場したのですが、ぐんまマラソンでもこのサイクリングロードを少し走るのです。

川沿いのはずなのに意外とアップダウンがあり、マラソンでも大変苦しんだ場所ですが、スピードを落とさず通過しました。

 

群馬で一番高い建物、群馬県庁を横目に見ながら駆けていきます。

 

小休憩を2回挟んで進み、最初のエイド、セブンイレブン玉村福島店に到着です。

ここでは、豚まんを食べました。

他は(ここからずっと同じなのですが)、ポカリ、水、ゼリー飲料の中で足りないものを買います。ここではゼリー飲料を1つ買いました。

 

しばらく右岸を走ってきましたが、五料橋で左岸に移ります。これは烏川という川が利根川に合流するのですが、その影響で右岸のサイクリングロードは行き止まりとなるからです。

 

左岸をさらに走りますが40km手前でアクシデント。肩と首がものすごく痛くなってきました。5:50/kmくらいで走ってたペースが6:20/kmくらいまで落ちてきます。

なんとか坂東大橋(40km地点)に到着しますが、きつすぎて河原に倒れこみました。

 

やはりマラソン翌週に走るのは無理なのだろうか…。電車で帰りたい…。そんな思いが頭をよぎります。最寄り駅を調べるところまではいきました。(7kmも離れてました)

 

10分くらい休むと少しマシになりました。

過去の経験から痛くなる原因はどうやらフォームにありそうです。肩が上がってるのだろうと推定しました。

ここからはペースを落としても良いのでとにかく肩の力を抜いて走ることに集中することにしました。

 

<坂東大橋→行田>

坂東大橋を出ると、次のエイドは30km先です。遠く感じます。畑が広がっている景色も全然変わりません。

ちょっと疲労を誤魔化したい、気づいたら進んでる状態にしたいと思って、ここからは音楽を聴き始めました。肩や首の痛みも出ず、10kmくらい順調に進みました。さらに進みますが第2のアクシデントが。57km付近から急に足が動かなくなってきました。数百m進んでは止まっての繰り返し。多分ハンガーノックだと思います。よく考えると、ここまで補給したのはわずかにポカリ1本と、ゼリー飲料2つのみ。脂肪燃焼して走れればいいなとか思っていたのですが、カロリーが足りておらず整合性はつきました。しかし、補給できるものがほとんどない。少ししかないゼリー飲料を3回くらいの小休止で分けて飲み、必死に進みます。気温も下がってきて非常につらい時間でした。

やっとの思いで69km地点にあるローソン行田酒巻店に到着。ここでは温かい紅茶とプレミアムロールケーキを補給しました。さらにカロリー不足に悩んだため、ゼリー飲料の他にチョコを購入しました。

 

景色はずっとこんな感じ

 

<行田→栗橋(96km地点)>

行田のローソンを出ると日が暮れていました。ナイトセッションです。ライトを装着します。とはいえ分かりやすい道、人もほとんどいない…順調に進める予定でした。

 

ところが利根大堰を過ぎると待ち受けていたのはなんと通行止め。堤防工事をしているらしく、迂回を余儀なくされます。道の駅はにゅうのあたりまで畑の中の暗い道を進みました。ここから堤防に復帰します。遠くには花火が見えました。冬なのに花火?と疑問に思いましたが翌日に調べてみると渡良瀬遊水地のあたりで花火大会があったようです。そんな中で伊勢崎線の高架をくぐって少し行くと再び通行止めに。ちょっとおかしいなと思った私は堤防工事について調べることに。するとなんと栗橋までずっと通行止めになっていると。仕方なく迂回路である道路を走ります。

 

この迂回の影響は大きかったです。堤防の上は意外と寒くないのですが、下に降りると急に寒さを感じます。これは冷気が下に溜まるからです。さらに迂回路もただの一本道ではなくて少し頭を使います。また、暗い上に自動車がたくさん通るのは結構なストレスです。道の脇に用水路もありました。気を遣う場面が多いのです。

 

カロリー的には復調した私でしたが、さすがに足が疲れてきて走れる距離が少なくなってきました。ところどころで歩くのを組み合わせながら進みます。気力で耐えます。

 

栗橋まで6kmの看板が出てきたあたりで車が増えてきました。歩道を走りますが、あまり整備されてなくて非常に走りにくいところでした。ずっと上は半袖で走っていましたが、栗橋まで残り4kmのところでついにウィンブレを着ました。想像以上に気温の低下が早いのです。まだ20時ですが、あとから調べるとこの時点で4℃でした。特に顔が冷えてきました。ウィンブレ下ももっと早く着るべきでした。

 

栗橋から先はバーミヤンあたりで夕食を食べて仮眠しないで進むか、あるいはどこかで仮眠するか直前まで悩んでいました。ですが、想像以上の寒さにより、仮眠しないで(というか夜通し屋外にいて)動くのは危険と判断。最低気温の予報も氷点下です。というわけで仮眠することにしました。そうなると無理に早く進む必要がないので栗橋までの4kmは歩きました。21時過ぎに栗橋駅に到着、ここまで96kmでした。東武との接続駅で大きい駅と思ってたのですが、思った以上に何もない駅でした。しかしコンビニはあったので駆け込み、温かい飲み物を口にしました。

 

さて、どこで仮眠をするかということに悩まされます。栗橋には何もないので他の街に移動しなくてはいけません。始発電車の到着を考えて最初に思いついたのは小山。しかし、24時間やっているネットカフェは駅から結構離れていました。次に思いついたのは大宮です。ネットカフェも何でも確実にありますが、始発は朝6時前と遅いです。よく見てみるとこの始発は上野5:10に出る電車です。ということは私の住んでいる豊島区からもこの始発に乗れます。

ネットカフェとかで過ごすよりも自宅に1回帰るのが丸いという結論になりました。なんだこれ感がありましたが、別に家に帰っても何か突然力が湧いてくるものがあるわけでもないですし、費用が安く済むだけです。しかもそんなに寝れません。時間的には2時間ほど失いますし、家まで最寄りから片道1kmはあります。むしろ不利まであります。

 

(※全然思いつかなかったのですが、実は幸手(栗橋から東武で2駅)に快活clubがあったらしいです、しかも駅からそんなに遠くないです。他にも対岸ですが境町に24時間営業のスーパー銭湯があるようです。)

 

宇都宮線に乗って移動します。脚は100km弱走ったにしては比較的動くな、といった感じでした。まだ階段も普通に上り下りできました。

 

夕飯はサイゼリヤでミラノ風ドリアとカルボナーラを食べました。食べとかないと、と思って多めにカロリー摂取しましたが消化するのが大変でした。寝る頃には24時を回っていました。電気を消して寝ると起きれなくなりそうなので、つけたまま寝ました。

 

<栗橋→南桜井(121km地点)>

翌朝、目覚ましのアラームで4時に普通に起きれました。

身体はまあ70kmなら最後まで行けるのでは?といった感じ。激ヤバな疲労感ではなかったです。

 

始発で栗橋に移動。6:04に到着します。

近くのローソンでホットコーヒーを飲んで、そしてアップをして気持ちを高めていきます。

栗橋からは堤防の通行止めはないはずと思っていましたが最初のポイントからは入れず。利根川橋の南くらいから河川敷のサイクリングロードに入りました。朝早いですが地元の人と思われる人に何人か遭遇しました。

外は氷点下で寒いのですが、日が出てくるとずいぶんマシになりました。やはり太陽の力は偉大です。

100kmのところで止まった際に誤ってGARMINのデータを保存してしましました。痛恨のミス…。

前日の最後の方は7:00/kmくらいのペースでしたが、この辺りは6:30/kmくらいは出ており、仮眠で少し回復したのかなと思いました。

106キロ地点のあたりで利根川とお別れして江戸川に入ります。今度は(江戸川の)河口から59kmといった看板が出てきました。これはなんと250mおきに出てきます。

 

栗橋から15kmくらいで早くも足が疲れてきます。とはいってもアクシデントでもないので特にできることもありません。走る→歩く→走るを500mおきくらいに繰り返しました。ラップ7分台で走れたらすごーいと思うことにしてました。

脚の疲労を誤魔化しながら121km地点の南桜井セブンイレブン庄和西金野井店に到着。やはり豚まんとコーヒーを口に入れました。

 

利根川の向こうから日の出

 

<南桜井→三郷(140km)>

次は約20km先の三郷を目指します。三郷まで来れば東京都が見えてきます。

ここもつらいので音楽を聴いていました。

ここまで走るのと歩くのを組み合わせて来ていました。歩いている分には問題なかったのですが、130kmくらいでいよいよ足裏の疲労が顕在化。歩いていてもめちゃきついという状態になってきました。体重を脚で支えきれなくなってきている状態。

5kmに一度くらい足の疲労を誤魔化したくて河原で寝そべりました。天気も良いので休んでいたくなるのをこらえて進みます。小休憩は増やしすぎるとペースの効率が悪くなるので私は前の小休止から最低5km進んでからと決めていました。とてもきついんですけどね。

三郷では昼ご飯を食べると決めていました。何を食べるか迷いましたが、たぶん汁物しか受け入れないだろうと思い、ラーメン食べようとなりました。調べると家系ラーメンの店が14:30までやっています。そんなこってりしたもの食べれるのかという不安もありましたが、これは行くしかないです。ラーメンを楽しみに歩いていました。

 

途中飛行機の模型?が飛んでいるのを見ました。本格的なラジコンってやつでしょうか。

流山が近づくと左手には巨大な倉庫と思われる建物が見えました。アマゾンの倉庫もあるようです。

三郷の手前では流山橋と最近開通した有料道路の橋を見ました。有料道路は流山橋の渋滞を減らすために作られたものですが、流山橋はこの日も渋滞していました。そういえば「翔んで埼玉」で有名人カードで千葉と対決するのはここですね。

 

川と交差するものが増えてきました。地味に立体交差のアップダウンがきついです。

この区間では一気に自転車が増えました。人口希薄地帯から都市部に来たことを感じます。

 

13:40に140km地点の三郷に到着。ここではゼリーや飲料はほとんど減っていなかったのでラーメン屋に直行します。家系ラーメンの店で味玉ラーメンを選択。小ライスも食べました。意外と食べれるものですね。胃腸はまだ元気そうです。

 

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<三郷→篠崎(158km地点)>

ラーメン食べたのでしばらくは歩くことにしました。

途中でTXの高速の列車が出てきていよいよ近くなってきたと感じました。

遠くにでかいビル群が出てきました。金町かな?と思ったら松戸でした。松戸の遠景は初めて見ましたが、こんなに栄えているんだなと思わされました。

 

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常磐線が見えてきました。ということは東京都葛飾区になります。いよいよ東京に入りました。長い長い埼玉を抜けました。100kmくらいあったでしょうか。

歩いてばかりいたので金町浄水場の脇で小休憩したあと、走ってみたらきついながらも意外と走れました。ここから篠崎までは走っていた時間の方が長かったです。

158km地点のファミリーマート篠崎町三丁目店に到着です。

ここではファミマカフェのコーナーがあり、温かいココアを飲んでる間にスマホを充電しました。

 

<篠崎→ディズニーランド(ゴール)>

篠崎からは旧江戸川沿いを進みます。道はここまでよりもかなり悪く、一般道の歩道を通る区間もありました。特に何のためなのか分からない凹凸のアップダウンに苦しみました。

道が悪いのもスピードが出ない要因でしたが、ここまでと変わって急にスピードが落ちました。脚が接地に耐えられなくなってきていました。もはや走ることは想像もできず、歩くしかない。

さらに堤防工事でまたしても道が塞がれており、迂回路をいくはめに。こんなところでもやっているとは。

 

中川と合流してからはまともに風をうけるようになりました。東京は群馬や埼玉と比べれば気温はマシだろうと思っていましたが、風は冷たかったです。

風をまともに受けて寒いため、小休止できるような場所もなく、歩き続けます。途中のファミマがありましたが、足が限界でサイクリングロードから階段を下ることすら、やりたくなくてスルーしました。

 

浦安を抜けて、168km、あと2kmくらいというところでとても明るい人工物が出てきました。最初は舞浜大橋がライトアップしているのかと思ったのですが、これが最終目的地のディズニーのホテルでした。こんな派手なんですね。いよいよクライマックス。

 

サイクリングロードから舞浜大橋は互いに高架なのに接続が悪く、大きく回りました。どんな設計だよとか思っていました。

 

長い舞浜大橋。寒くて身体は震えていました。光の方へ一歩ずつ足を進めます。

最後の最後で千葉県に入りました。

 

橋を渡って高架下を進むと人が増えてきました。ディズニーの駐車場に向かう人でしょう。

 

肩で息をしながら進み、ついにあの看板が見えました。

最終目的地、東京ディズニーランドです!

 

ディズニーの看板前でゴール!

きつかった…。でも確かに群馬から走ってきました。170kmでした。

時刻は20:04。35時間ちょっとのタイム。スタートから36時間の制限時間まではあと1時間を切っており結構ギリギリになってしまいました。

写真を撮ってもらいました。本当に限界感が出てる顔になっていました。

 

やりました、100マイルはおろか、106マイル達成です!

 

歓喜に浸る間もなく、舞浜駅まで400mほど頑張って歩きました。舞浜ってこんな人いるの…。当たり前ですがこんなウィンブレ姿の人は見かけませんでした。

電車に乗っても寒い…。京葉線座れなくて絶望…。

新木場で有楽町線に乗り換えますが、階段は下りれず、エレベーターを使用。

新木場は始発なのでことなきを得ました。乗ってれば最寄りに着きます。

寝過ごさないようにと思いましたが、寝る気配もなく最寄りに。

足が動かないし、何よりも寒い。東京なのに寒くて仕方がない。

限界過ぎて家まで1kmなのにタクシー使いました。骨折の手術後でもタクシー使わなかったのに…。ワンメーターで助かりました。

帰宅して速攻で毛布かけて横たわりました。体温測ったら38.2度。そりゃ寒いわけですね。まあ寒気だけで咳も頭痛もないから寝れば治るだろうと踏んで寝ました。(翌朝には平熱でした)

 

翌日は足がきつくてほとんど動けなかったし、液体っぽいものしか胃が受け付けませんでした…。しかし、仕事は溜まっていたので朝8時からやりました。社畜かな。

 

後半部分、本当ギリギリ

 

何が功を奏したか

 

・過剰に小休止をしない

・大休止でも行うことをルーティン化していて、無駄に長居しない

・ペースの管理

・精神的な希望を持つように努める(後述)

 

どこにエイド(主にコンビニ)を置くかは1つ考えるポイントだと思います。

私の場合は前半はおよそ30kmに一度くらい、後半は20kmに一度くらいで寄っていました。遠すぎず近すぎずといったところでしょうか。自分の場合はこれが40kmとかになると遠すぎてあきらめたくなるんじゃないかと思いました。

さらに小休止の間隔ですが、だいたいこのエイドまでの距離を3分割していました。エイド→ラン→小休止→ラン→小休止→ラン→エイドといった感じです。エイド後最初のランは補給したから多少走れる、次の10kmは「10km走ったら補給ができるぞ」、次の10kmは「これ走ったらエイドだぞ」と思うことで精神を保っていました。2分割だと距離が長く、4分割だと精神的にきつくなるのではと思ってこれを採用していました。

きつくなってきたら3分割の最初の区間を長くします。20kmなら8-6-6kmとするように。補給後が一番体力的にマシな状態なので。残りをゆるい距離にして精神を保ちました。

最終盤は足がきつすぎてこんなの関係なく5kmに一度としていました。しかし、これも最低5kmと決めて進んでいたので最低限の小休止で済みました。

 

さらなる長距離レースは

トレランは100マイルレースがそこそこありますが、ロードはかなり少ないです。

川の道フットレースがおそらく最長で500km超。これはハーフもあります。正直500kmは想像できないですね…。ハーフはまだ現実味がありますがそれでも250km…。

次に大江戸小江戸200kmというレースがあります。200kmの他に92kmや230km、260kmもあります。オリエンティアではTNBさんが出ていました。

しかし、これも制限時間36時間です。結構厳しい。しかも川越で仮眠できないらしい。

 

なかなかハードルは高そうですね。

そもそもこれらの大会は100kmとかの大会走ってないとそもそも出場が厳しそう。

 

というわけで、次は100kmのレースに出てみようかなと思います。都合合えばサロマ湖100km出ようかな。

 

 

 

横須賀スプリントの振り返り/CC7で骨折した話

これは、2023オリエンティア裏advent_calendar7日目の記事です。

 

こんにちは、GROKの吉澤です。

知らない人向けに私のことが分かりそうなことを書いておくと、CC7で骨折して腕に包帯巻いていた人が私です。そして、翌月のインカレスプリントのイベントアドバイザーをやっていました。何とか最後までやり遂げたという感じでした。(いずれも後述)

 

今年は裏も一瞬で埋まって驚きました。書きたい人が増えているのか、あるいはオリエンテーリングのコンテンツの幅が広がっているのでしょうか。

 

私は2022/12/29に実施した横須賀スプリントについて書かせていただきます。(advent calendarは12/25までなので昨年の記事にギリギリ収まらなかった話になります。)

 

横須賀スプリント

吉澤は横須賀で何をやったの?

市街地スプリントのイベントを開催しました。

形式はnavitabi使用です。

私は競技・運営・調査・作図・広報責任者&一部コースのプランナーをやりました。

 

横須賀ってどんな場所?

横須賀と聞いて何を思い浮かべますか?

海軍(海上自衛隊)・米軍基地とかスカジャンとかでしょうか。

とりあえず海のイメージがある方は多いと思います。

 

そんな横須賀市は実はトンネルの数が日本で一番多いと言われています。

横須賀は谷戸という行き止まりの谷がたくさんあるような丘陵地なのです。

その一方で人口も多く、たくさんの住宅がこの丘陵地に作られています。

 

今回の横須賀スプリントで使用した中でメインの場所は横須賀の中心駅、京急線横須賀中央駅の周辺になります。

 

複雑怪奇摩訶不思議な路地との出会い

最初の出会いは2021年5月のことでした。コロナの第N波でGWの予定が立たなかった私は、横須賀のヴェルニー公園のバラがきれいらしいと聞いて見に行くことにしました。

 

公園はきれいな場所で、しかも大きな艦隊が近くで見れて満足しました。ところでこの辺りの住宅地はgoogle mapにやけに緑色の点線が入っていることに気づきました。時間もあるのでここを歩いて横須賀中央駅まで行ってみることにしました。

 

寄り道してたどりついた道は…「これは道なのか?」と思うような細い道。路地と呼ぶのが正しそうです。しかし歩いてみるとすぐに終わるような道ではなく、曲がりも多く、雰囲気もその辺の住宅街の感じではなく、「なんだこれは…!」となったのを覚えてます。全身が鳥肌でした。

しかも最後に下りてくる場所は横須賀中央という横須賀の中心部につながっている。ここは異世界?という感想でした。一方でこれはあとから分かることですが、この日歩いた範囲はテレインの本当にごく一部でした。

プログラムにも記載した写真、すごい道

 

緑色の細線の道が多い

 

ここの市街地が如何にすごいのか

 

とりあえずこちらの動画の5:52以降を見ていただきたいです。youtubeチャンネルやってる人の動画(なんと14万回再生されてます、同じチャンネルのほかの動画より圧倒的に多い)です。この動画の撮影箇所はテレイン内なのでテレイン内の雰囲気が分かるかと思います。きっと初めて見た方は意味が分からないというか、本当に神奈川?どこかの海外じゃなくて?と思うでしょう。(というかこの動画見て頂ければこの記事の趣旨の7割くらい満たされます笑)

どこまでも続く究極の階段住宅地/天界の住宅地を歩く 横須賀 汐入町東部 緑が丘(神奈川県) - YouTube

 

見て頂けば分かる通り、規則的でない細い路地が続いています。家屋も古いものが多く非常に趣きがあります。

特筆するべきは

・この細い路地が伸びる市街地の面積が広い

・この市街地の一部は横須賀中央という京急の主要駅(快特停車駅)のすぐ裏(歩いて5分とか)にある、それが再開発されていない

・すぐ近くには高層マンションが建つという不思議な光景

というところにあると思っています。

 

まず面積ですが、今回100式で使った中で海岸沿いを除くほぼ全域はこんな感じの雰囲気です。つまり、めちゃくちゃ広いのです。細い路地は日本中にありますが、これだけ大規模に残っているのはとても珍しいです。

そして、この市街地は横須賀中央という人口40万の横須賀の中心駅の裏まで広がっています。この駅は全ての列車が停車し、横浜まで25分、品川まで45分、日本橋や浅草も直通です。こんな便利な場所は再開発されたり、マンションが建ったりします。おそらくは急峻な地形と細すぎる道がこれを妨害しているのだと思います。

さらにこの市街地からは横須賀の港も中心部のタワーマンションも時々見えます。このギャップが最高に面白いのです。私はこれを踏まえて地図名の副題を「Another Yokosuka」としました。横須賀の持つもう一つの顔がここにあるわけです。

 

なぜこんな不思議な市街地ができたのか、形成の過程は完全には理解できてないのですが、間違いなく関係しているのは横須賀の急激な人口の急増です。近世(江戸時代末期)まで横須賀は寒村でしたが、製鉄所の設置と軍港ができたことによって急速に人が増えます。さらに東京とを結ぶ鉄道が引かれます。軍人や工場の就労者が横須賀に移り住むようになります。明治17年に8700人だった横須賀町は昭和18年に35万人、終戦間近には40万人以上いたとされています。これは現在の人口よりも多いです。軍港であったものの激しい空襲を受けなかったことも影響していると思われます。

こうして市街地は狭い谷戸には収まらずに丘陵地の急斜面を上っていったとされています。

 

スプリントをするとわかるのですが、ここの道の細さというのは車がほとんど入ってこれないほど。ある意味では安全かもしれません。両手を伸ばせば横の壁についてしまうという路地はたくさんあります。

 

A4の地図を置いてみました。いかに細いか分かります。

 

急ピッチな調査作図で練習会開催

 

紆余曲折あり、一部エリアの調査を進めて翌年(2022年)5月にGROKの大橋が組んでくれたコースで内部練習会を企画しましたが、GROK内で予定が合わず。代わりにKOLCの後輩と1度試走を行いました。みんなめっちゃつぼりました。このときの調査エリアが「横須賀上町」です。

 

夏は暑いので調査してませんでしたが、急に11月にGROK主催で100式やるよと発表しました。これは理由があります。

 

まず、10月になって翌年(2023)の1月に仕事で異動があることが発覚しました。

ここまでテレワークであったため、どこに住んでいても影響なかったのですが、1月からは新宿に週5出勤となることが決まりました。

住んでいた金沢文庫は新宿に毎日通うには厳しく(片道90分)、実質的に引っ越す必要がでてきました。ここで金沢文庫にいるうちにやっておきたいことリストを作りました。そしてその中で圧倒的に1位だったのが横須賀全域を調査することでした。この面白すぎる、人生で2度と出会えないかもしれないレベルの市街地の地図を完成させないのはあまりにも勿体ない。

 

もう一つ、GROKは正規クラブではなく、ずっと一般のクラブでCC7に出ているのですが、それを正規にできないかということを考えていました。正規チームで出るには練習会を何度か開く必要があります。そのための一つの案として練習会を開きたいというのが自分の中でありました。

 

練習会にはアイデアがありました。それは100式をやることです。

下見段階で残りの市街地は路地の作りは面白いものの、それそれのエリアで完結してスプリントをやるには少し物足りない。ならば距離は長くなっても全域を回るようなコースを組みたい。これが許されるのが100式でした。100式は年末の風物詩。季節的にぴったりです。

さらに横須賀はトンネルが多くて立体交差がたくさんあります。これを使えば、信号や踏切で止まらずに戻ってこれるコースが組める。そう思うだけでテンションは爆上がりでした。

コントロールは置けませんが、100式は1秒を争うというよりは頑張って走り切るのが趣旨として近いので、これはnavitabiで良さそうでした。

 

勢いで練習会の開催を宣言してしまったのは良いのですが、このとき既に11月の上旬。練習会は12/29でもう1か月半しかありません。調査したい範囲は1km×3km(!!)でそのうちおよそ半分がほぼ作図ノータッチでした。自分の手で完成したいものなので、とにかく自分のリソースをつぎこむしかありません。

 

地図調査は20回以上行い、直前まで晴れの日も曇りの日も風の強い日も、土日も平日の朝や昼休みも調査をしました。特に500m四方の公園(横須賀平和公園)、海岸沿いの大きな公園(ヴェルニー公園)とコースカと横須賀芸術劇場という商業施設の調査・作図に時間を要しました。GROKの大橋氏にもアドバイスをもらいながら作図を進めました。調査・広報用に撮った写真は802枚もありました。

 

調査帰りのイルミがきれいだった、これが表の顔。

 

 

当日はGROKのメンバーと運営を行いました。

 

 

練習会の工夫

<100式のコース>

以下を満たすように組みました。

①信号と踏切を横断しない

②なるべく人の多いエリアを通過しない

③不毛なレッグを作らない

④UPが極端にきつくならない

⑤調査範囲を可能な限り広く使う

⑥スプリント要素を入れる

 

①:このテレインは鉄道はトンネル内を多く走行し、大通りは跨線橋があり、市街地はそもそも路地が細すぎて信号が少ないという絶妙な条件でした。そのため、10km以上のコースでも工夫すれば信号、踏切を通過しないように組めます。やはり安全を考えても、一応計時するというのを考えても、通らなくて済むならそうしたいですよね。この制約は結構大きくてこれを考慮するだけで回しがほぼ決まりました。

②:横須賀は40万人都市。中心部は当然人が多くいます。特に横須賀中央駅は顕著でこの周辺の回し方には注意しました。

③:100式ってこれいるの?ってレッグが生まれがち、特に変なループ作りがちですが、今回はそういうのを入れないように作りました。(無理やり変なコントロール入れて108式にはしませんでした)

④:まあ横須賀ならUP500mくらいまでは仕方ないかなと思っていましたが、作ったコースで等高線数えたら370m。跨線橋や2階へ行く階段のUPを含めても500mには達していないでしょう。

⑤:JR横須賀駅の南西側とかが残りましたが、9割くらい使いました。

⑥:市街地とヴェルニー公園では結構2択のルートチョイスがあったと思います。

 

結果的に難しい市街地と海や公園のエリア、立体交差の建物を行き来し、緩急のついたコースになりました。ずっときつい登りがあるエリアを使わないのもポイントですね。景色が良かったという声が多かったです。

 

 

<競責的な観点>

〇コースコントロール

・私有地に入りそう、境界が曖昧なエリアを避けています。これはこのテレイン特有ですが、入らせたくないエリアがたくさんありました。コントロールしなかったら米軍基地入る人と民家の玄関に突っ込む人が出てたでしょう。

〇衝突リスクを減らす

・道が細いので交錯するようなレッグを減らしました。

・フリースタートを採用しました。

・人数も50人に絞りました。会場のキャパ的にもこれくらいがちょうど良かったです。

〇地図の縮尺

・100式は1:3000、sprint_cityは1:3500を採用しました。1:4000では全然読めなかった(それくらい細かい)。

〇地図の大きさ

コンビニだと印刷できるのはA3が限界です。3枚以上に分けないといけないとなると走る人が地図をひっくり返したりする手間が増えます。なんとか表裏1枚に収めたい。

そこで片面を縦、片面を横にする特殊2map制を採用しました。次のレッグを読んでおかしくならないギリギリのところに地図を裏返すところを設定。そして、その箇所(50番)にマーカーで色を塗るという作業を行いました。

スタートゴールが同一なので、同じことが裏から表にする際にも起こります。地図全体からコースで必要な部分をうまく切り出し、絶妙な箇所にコントロールを置くことで乗り切りました。あと50mでもずれると入らなかったです、ひやひやした…。

 

ちなみに、A3が入るチャックビニは普段あまり見ませんが、パッケージプラザに行ったら売ってました。ただ、A4よりだいぶ高かったです。

 

<運責的な観点>

〇少人数のゆるいイベントとしてこんなことやってました

・帰省のお土産の配布(大分や博多土産がありました)

・navitabi使わない人もいたのでアナログな表にタイムを各自で記載

・感想を書いてもらう紙を用意

・運営者も走る

 

→参加者が少なくて地図セルフピックアップ、navitabi使用とすれば、運営側でやることはだいぶ少なくて済むことが分かりました。なので、運営者も走る余裕を作れました。コントロールの設置・撤収もないので、私が朝会場来たのも開場30分前とかです笑。

 

当日の参加者の声とか

平日だし、近場の大学生だけかと思っていた参加者の層。

ふたをあけてみれば社会人では遠くは関西から(帰省ついででしょうか)!北大の学生もいる!あの高橋厚さんもいらっしゃる!もちろんエントリー王やいつもよく見かける方もいました。

 

参加者はそれぞれのレースを終えると…

難しい、道ヤバすぎ、めっちゃつぼった、どうなってるんだこの市街地…などと、まあ予想通りの声が聞こえてきました。この日初めて走った運営者も同様。地図描いた甲斐がありました。面白かったのは「どうやって配達しているんだろう」…って感想ですね(実際、宅配の人が荷物をかついで階段登ってます。以下の動画の16:28あたり参考。旧浦賀道に沿って展開する天の里/天界の住宅地を歩く 横須賀 汐入町西部(神奈川県) - YouTube)。一方でヴェルニー公園や海沿いのエリア楽しいなんて声も。

 

先ほど当時の資料を見たらタイム表(手書き)が出てきました。リラックスしてやってた選手もいると思います。敬称略。

 

sprint_city 2.9km ↑75m  (2.5kmって書いてたけどこれくらいあるようです)

根本(け)  15:56

斎藤佑樹   17:29

松尾(怜)     17:35

藤原    19:02

祖父江   19:43

村上巧   19:48

竹内    19:51

 

※吉澤試走 18:36(2022年5月)

 

計測した方のうち、これ以外の方は20分超えています。

 

100式 13.0km ↑390m

TOP3のみ記載

祖父江       1:21:06

斎藤佑樹   1:24:53

松尾(怜)1:32:19

 

※タイム表への記載なかったですが根本(け)も80分くらいのようです

 

コメントを紙に書いてもらったのですが、「よく調査したな!」「海がきれい」「とり天せんべいが美味しい」「いいテレイン」「1年の最後をかざるのにふさわしいオリエンテーリング」「階段きつかった~楽しかったです」などありました。中でも最も印象に残ったコメントは「今まで走った全世界の街スプで圧倒的No.1の細い道!」でした。やっぱ細いんですね。

 

感想書いてもらった紙

 

GROKの運営陣は終了後、横須賀でカレーを食べて私の自宅で打ち上げとボードゲームをやりました笑。

 

素晴らしい時間を参加者とGROKのメンバーと一緒に過ごせて良かったです。市街地の面白さを知ってもらえて嬉しかったです。楽しかった~。

 

運営陣

 

そして、このテレインは香港のアジアユースのスプリントリレー市街地にかなり雰囲気近いんじゃないかと思っています。なので気になる人は使ってみてください。

 

 

オリエンテーリングで骨折するとどうなるのか

大怪我の内容

話ががらっと変わります。

怪我とか痛みの話が苦手な人は一番下の章まで読み飛ばした方が良いです。

CC7の1走をやっていたのですがビジュアル後の足場の悪い斜面で左腕(橈骨頭)を粉砕骨折しました。(声をかけてくれた方、会場で看護してくれた方などありがとうございました。)当日は諏訪の病院の救急科に行きました。あくまで応急的対応でこの日はレントゲンの撮影と固定しただけでした。

その後、整形外科に行きましたが橈骨頭の粉砕骨折と分かりました。いわゆる重傷・大けがでした。

手術はすぐにはできず、およそ10日後に入院して行いました。

そのときの手術法はスクリュー(ボルト)を入れる、あるいは「人工橈骨頭置換術」と書かれていました。人工橈骨頭置換術というのは人工関節を挿入するということを意味します。人工関節は回復が良くない場合(=可動域によっては)障碍者手帳交付の条件を満たします(橈骨頭は対象外)。これを調べたのが術後だったが、まあ思ったよりヤバかった。

最終的にはスクリューでの手術となり、5本のボルトが腕に入っています。

全治は3か月と言われていますが、まだ可動域は大きくありません。痛みはだいぶ消えました。

今もリハビリをしています。

 

なんとかならないかなーと思っていること

今回のCC7はけが人が続出したと聞いています。保険申請してる人がたくさんいると。

千田刈の森は足場が悪い上に笹で岩が隠れているようなテレインです。

結果的に私は大けがをしたわけなのですが、オリエンテーリングは参加者の意思で参加者の決めたルートを走ってるわけなので、けがは(よほどコースが悪いとかではない限り)自責です。

 

しかし、けが人の続出には単純に足場の悪いテレインということの他にいくつかの要素が絡んでいると思います。

1つ目はCC7という特殊な大会であること。おそらく日本のオリエンティアのほとんどが参加する、日本で一番参加者数が多い大会です。クラブにとっても大きなイベントですし、非アクティブなオリエンティアでもCC7だけは行くという人はたくさんいます。「テレインが良くないから参加しない」という選択肢はまずありません。今回のテレインは個人的にはなるべく避けていたテレインだったのですが、CC7だったので参加しました。

 

2つ目はリレーであるということ。ファシュタが絡むということです。個人レースであれば別に自分のタイムが遅くなるだけなのですが、リレーで自分の走りが遅くなることはチームの結果に直結します。ちょっと足場が悪くてもリレーなので(自分のペースではなく)スピードを出してついていくという行動を取りがちです。というか1走のファシュタで足元なんてそこまで気にしてられません。

 

要するにある程度リスキーな状況で走らざるを得ないということです。

 

今回思ったのはリレー競技(特に多くの人が出て順位を目指す大会、CC7や全日本リレー)は足元がそこまで悪くないテレインやエリアでやってもらえると嬉しいということです。別に岩のないテレインでやるなというようなことを言っているわけではありません。大部分のリスクが低ければ良いという話です。

色々制約はあるんでしょうけど、テレイン選択の際など考慮する一つの材料としていただければ幸いです。

 

経過

・けが直後はどんな痛みだったのか

→2分くらい立ち上がれなかった。痛いのは腕なのに走ろうとすると衝撃が腕に響くのか走れなかった。骨折なのは感づいていた。

 

・どうやってゴールまでついたのか

→急斜面を登れる気がしなかったため、斜度が小さい斜面を通って帰ろうとした。

 レッグ線を辿ればちょうどうまい感じに行けそうだった。頑張れば回れる気はしていたのでビジュアル後のコントロールは全て回った(良くないです)、地図が持てない状況なので1レッグは2秒くらいしか読んでおらず、コンパスで方向だけ確認して流れについていったら基本的にコントロールにたどりついた。1走ってこういうもんか。

 

・インカレEA問題

→インカレ準備は最終試走も終わり、プログラムの内容もかなり詰めていた段階ではあった。ただ、CC7から3日後には、インカレ2週間前準備の土曜日に入院がかぶることが確定してしまう。主に公式掲示板作成に影響が出ると考え、急遽谷野をアシスタントEAに据える。忙しい中で申し訳なかったが、他にできそうな人がいなくて、動いてもらった。早い段階でEA2人体制に、実質的にはスイッチした。

 

・筑波大大会

実はギブスで出ていた。あらゆる人に驚かれる。なるべく体力を落としたくなかった。

ジョグ程度で回ったが、最難関の立体交差レッグは読み切れていてベストルートを選択して、8位を記録。これだからスプリントは面白い。しかし、日本ランキングで「レースが遅すぎで計算から除外」されずに、なんと点数がついてしまう。ここまでランキングは23位とかだったので筑波大大会の点数が跳ねた一因だったかもしれない。

午後のノックアウトスプリントリレーはとても楽しみにしていたが、おとなしく観戦。

しかしせっかくなのでと思い、OK-info用のネタ集めと取材をすることができた。記事は#192_難解なキャンパススプリントを堪能 - 第43回筑波大大会 - OK-Info (hatenablog.com)

翌日の根本一門はスピードレースのため、順位は100位台だった。

実はオリエンテーリング・ランニングイベントは運よく一度もキャンセルせずに済んだ。

 

・手術

→手術は全身麻酔+神経ブロックで行った。手術後の麻酔が切れたあとは腕が握りつぶされるような、この世のものとは思えない痛みであった。同時に猛烈な発熱で平衡感覚を一時的に失った。あまりの痛みでほとんど寝ることができなかった。痛み止めが2時間に1回とかしか投与できないもので絶望した。土曜の朝、退院できますよと言われるが、「この痛さで本当に退院するんですか…」と思わず言葉が漏れた。正直なところ、退院翌日は行けたら笠間に行こうと考えていたが、とてもそんな状態ではなかった。家にたどりつくのがやっと。

 

・手術後の経過

→3日間くらい、あまりの痛みと発熱でほぼ何もできず。特に夕方から熱が上がる傾向にあった。左手が使えないので本は読めず、アニメを見ているだけでも苦しい(スラムダンク金色のガッシュベルを見ていた、内容は面白かった)。退院4日目は誕生日であったが、なかなかきつい誕生日であった。ただ、インカレのプログラム原案は退院翌日から目を通したし、当日も現地の谷野に状況を確認していた。

インカレの一週間前準備は文字通り、身体を張っていた。荷物を持って集合場所の新宿駅まで行くだけでもきつかった。手を使ってものを持つことがまだほとんどできなかった。現地の確認を行ったが、まだ歩くのはかなりきつかった。地図の確認も行った。さすがに24時には寝かせてもらった。それでも誰かに会えて話せるのは嬉しく感じた。

徐々に痛みが引いていくが、発熱はインカレ直前くらいまで続いた。インカレは何とか自分たちが準備した舞台で選手が走っている様子が見れてよかった。

酒とカフェインと運転が禁止されていた。つらすぎる。

 

・仕事

合計で3日間休んだ。むしろ3日しか休んでないことに驚く。

けがしてから出社だったのをテレワークに変えてもらった。有給残が多くなく、テレワークにできないと言われたら休職もやむなしといったところだった。

左手でのタイピングができなかったのが大きかった。しばらくは右手だけでやっていた。ちなみに現在も一般の人がするようなタイピングは左手でできない。腕をひねる角度が足りていないらしい。

リハビリは勤務中の休憩時間を増やして通院している。

 

・日常生活

当初はシャワーを浴びるのが大変だった。服の脱ぎ着が難しいのに加えて、幹部に防水のものをつけていた。

食事の際にお椀を持ち上げられないなんていうこともあった。

最も困ったのは左腕の握力がかなり低くなり、ペットボトルのふたや菓子の内袋をを一人であけられなかった。

左腕は利き手ではないし、使えなくてもそこまで困らないと思っていたが、相当に困った。

 

・費用

入院手術だけで8万円。その他で5万円以上だろうか。

一部(通院1日あたり1000円)はオリエンの大会で加入している保険で出るようだ。

 

・復調

歩くことはかなり無理しながらも退院4日目から行った。インカレ直前からちょっとずつ走り始めた。インカレ翌週にギブスが取れてここから40km/週くらい走った。最初はkm4分で走れなかった。

10月は月80kmほどしか走れなかった。

 

それでも地力は残っていた。11月はだいぶ回復して70km/週くらい走れる週も増えてきた。

 

11月下旬からの土日は

東北大前日大会(スプリント)&つくばスプリント合宿(30km)

→井頭公園スプリント&つくばマラソン(42km)

→渋川から利根川江戸川沿いを走り、ディズニー(江戸川河口)まで行くウルトララン(170km)

と3週連続できついランをこなした。今あげたイベントだけでも250kmくらい走っていた。持久力は回復してきた。あとはスピードといったところ。

 

回復までの相当な時間と痛みとお金を費やすことになるので、皆さんも怪我には気をつけてください。

 

全スプ

昨年度の全スプの井頭公園はだいぶ対策していた。ちょっとやり過ぎたくらい。

全スプ(井頭公園)振り返り - good_outdoorのブログ (hatenablog.com)

昨年度の全スプは後半でミスを重ねた形だったが、実はビジュアルまで12位で走れていた。

 

 

今年の全スプのエントリーが始まってすぐに、MEで走れるだろうとエントリーした。

上述のことを根拠に目標は10位と書いた気がする。

実際8月までかなり調子は良かった。3000mは9分台が出て、北東セレ参考記録ながら全体トップタイム、北大大会入賞。ランキング10位台の人にも勝てることはしばしばあったし、この調子で走れれば決して夢物語ではないと思っていた。

しかし、エントリーからすぐ。骨折したため、スピードが露骨に落ちてしまった。

回復はしてきているが出せる力は骨折前の9割くらいだろう。これはスピードレースのテレインでは相当に痛手。正直20位でも厳しいだろう。

 

だが、たとえ10位が目指すのが厳しくても、過去の自分には絶対に負けたくないと思っている。全スプ過去最高順位と納得できるレースをすることは譲らないつもりだ。

 

準備していきます。よろしくお願いします。

全スプ(井頭公園)振り返り

下書きに入れたままになっていた。一応公開しておく。

井頭公園は難しかった。これに尽きる。

地図描いて予想しても、その対策を遥かに越えてくる難易度だった。

 

31位というのは予選だったらボーダー落ちの順位で昨年に引き続きボーダー直下だったということになりかねなかった。決勝1本で救われる形だった。

 

作図は時間に対して効果が大きかったかといわれると割とシビアだが、構造を理解していなかったら順位は確実に悪かった。ME3→4、4→5は完全に事前の対策で救われた部分。初見ではあのスロープは読めなかっただろう。一方で21→22は作図はできていて予想もできていたのに、ルートミスをしてしまった。止まって読むこと自体はできたのだが、読み切れていなかった。

 

作図の様子を公開。

作図は2週間前からやり始めた。スプリント大好きな某現役に井頭公園の旧図の情報を聞かれて、そこから一緒に対策することになった。

 

 

作図開始1時間半



基盤地図ではかなり厳しいことがすぐに分かった。そもそもプールの形と建物の構造が古いままだった(一万人プールは2回リニューアルされているようだ)ので、必然的に航空写真や動画を探す必要があった。

 

まずは橋を書いた。そして、プールは水を抜くと思っていたので、プール内の階段、水に入りやすいところを探した。

 

作図2日目

航空写真で書くとかなりずれというか歪みが出てしまっていた。
そもそもgoogle mapの航空写真の画質があまりよろしくない。

 

ここで色々探していると、いい感じのイメージを見つけた。

震災からの復旧イメージ図だった

 

https://www.pref.tochigi.lg.jp/h09/houdou/documents/nyujoushasuu.pdf

この時点から北東の建物やプールがまた少し変わっているのだが、概ねはこれで良さそうだったため、これをもとに作図し、航空写真と照らし合わせて違いそうな部分を修正するという方針をとった。

作図は1/23の週の平日に1日4-5時間でやった。動画を朝夕の電車内で見て、新たに分かった部分を足していっていた。ついでに神奈川県の全日本リレーの対策も自分主導で行ったので、この週の20-25時は完全にオリエンテーリングのことを考える時間だった。睡眠時間が5時間台に減っていて苦しかったが、これはこれでそれなりに楽しかった。


1/25(作図4日目)、右上以外はそれっぽくなってきた




1/27、プログラム出る直前。ほぼ完成のつもりだった。


このあとはプログラムが出て、そのサンプルマップを見て直したのと建物内の立体交差の動画を探した。調べたらアスレチックエリア(プールの西)も一部設備修理中で一般人は入れなくなっていて衝突の危険性はなさそう、渉外次第で可能性がないわけではなかったが、普通の森っぽかったので面白くならないだろうとここの作図は切り捨てた。また、前回大会のプログラムに少し旧図範囲外の作図が載っていたが、大した情報を得ることはできなかった。

 

さらに動画を探すと

・建物のスロープの立体交差部分が詳細に映った動画(公式掲示板と一致した)

・プール北の道を歩いている動画(開きそうな柵を発見)

・はっきりとした画質の空撮動画(ドローンで撮ったと思われる)

を発見したのでこれを反映した。


こうしてできた最終版(水も抜いてみた)がこちら。

最終版

 

作図完。これを紙で印刷して既存地図にのりで張り付けてスキャンというアナログな方法で合体させていた。

さて、作図は順調で、参加者の中で誰よりもテレイン構造を理解している自信があったが、コースはそれっぽいのができないでいた。

プログラムから分かる情報としては

・会場からのスタートの距離とwarm upエリアの情報より8割くらいの確率でスタートは左

・45%でビジュアルという情報とビジュアルへの進入方向からビジュアル前にプールが確定、また距離的に池を1周にはならないのでビジュアル後にもう一度プールに入ることもほぼ確定

・コース区間の30%が舗装以外の情報からビジュアル直後は不整地を回す

また、作図の結果とプール北西が面白くないエリアということより柵の隙間からプールへ進入するだろうと想定していた。

こうした中でプール進入までと不整地の回しが全く思いつかないでいた。

当初は予想作図を他の人には一切見せないつもりでいたが、予想コースが多く組めずにこのままでは宝の持ち腐れになる可能性が高くなり、方針を転換した。

ここで自分の予想作図と引き換えにコースを組んでもらったのが、今回優勝したばなさんだった。不整地の回しはやっぱこうなるかという感じのものだったけど、プール上に人工柵と立ち入り禁止エリアが設けられていて味を出していた。これが大会3日前で人工柵への対策が少し遅かった。

ちなみにばなさんはijc選手を中心としたES関東の人と対策していた。もちろんES関東で予想地図を作っていた。ばなさんは自分が予想コースの作成頼んだものについて、縮尺などが合わなかったのかES関東の予想地図を使って組んでくれた。ただ、当然他人に見せてはいけないという条件付きだった。なので後輩には見せられなかった、ちょっと申し訳ない。ES関東の予想地図は要所を捉えていてとてもきれいに書けていた。一方で柵の隙間やアンダーパスなど(動画を見れば分かる範囲でも)結構抜けている部分もあって、自分の方が構造を理解している気がしていた。

 

身体のコンディションは良かったが、1月になってからの異動による週5出社(及び遠すぎる通勤)で明るいうちに走ることができなくなっていた。読図走をしないで挑むのはありえないので仕方ないが会社の昼休みに読図走を3日した。自作マップではありえん読みづらかった(本番の地図すごい)。冬で汗をかかないのでなんとかなるが、やはり革靴でやるものではない。前日にコンピをやったら脚が終わりかけたが、めちゃくちゃマッサージして湿布張ったらなんとかなった。

レースは人が多いということもあって緊張した。△→1なんて全然難しくないのにすごいドキドキしながらコントロールにたどり着いた。4→5は対策していた通りにスロープを進めた。勝負レッグ1の7→8もなんとか正しいルートチョイスを選べて、まずまずだった。うろちょろしながらも絶望的なミスはしていないままビジュアルに来た。

(結果を見ると、ここまでなんと12位。小牧や入江とほぼ互角に戦えていたらしい。後から分かったが堀田さんに抜かれるまで第一中間では1位だったようだ。)

 

ビジュアル直後に1分前の小寺に追いついた。しばらく簡単な回しだと油断していたが、細かいところでミスをしていてわずかにミスタイムが積みあがっていく。この回しで小寺を抜けず、少し焦る。

 

かなり考えたが、良いルートが読み切れないまま、プールへ進入。そこまで悪くなかったが、上位とは差がつく。そして、つなぎのレッグと思われるレッグで人工柵が読み切れておらず、柵が空いていないことに驚き、そして焦る。訳が分からなくなった。うろちょろした末に一番下まで下りてしまい、40秒のミス。しかしまた小寺に会って一緒に走る。最後の勝負レッグも読み切れず、一度止まって読んだが、最悪レベルのミスルートに行ってしまい、50秒のロスが追加。完全に終戦だった。

 

結果31位。

最後の勝負レッグを小寺についていけばそれだけで24位だったし、前半が順調にこなせていただけに後半のミスがあまりにも悔やまれた。

 

しかし上位陣を見ると前半の回しだけで40秒も差がついていた。信じられなかった。差を見せつけられた。

 

まだまだスプリントうまくなりたいと思った日だった。

 

そして、村田コースプランナーさすがである。

彼のことは前橋公園の地図を描いた頃から認識していた。ここまでやばいコースができあがるとは、頭が下がる。今年のインカレスプリントで一緒に仕事したので、色々話ができて良かった。

 

人工柵(青黄色テープ含む)が合計2km弱あったらしい。運営の方の尽力にも感謝だ。

 

来年、といってももう1月の駒沢はどんな舞台が待っているだろうか。

 

 

清里~瑞牆山荘~奥多摩駅 奥秩父縦走(2日間)

6/16深夜-18夕方で清里駅から奥多摩駅まで奥秩父山塊を縦走しました。
4泊5日や3泊4日で縦走した記事はそこそこ見ますが、実質2日で縦走した記事は(分水嶺トレイル以外に)見たことなかったので、詳しめに書いてみようと思います。

 

上の方で計画やポイント、下の方で実際の行動記録を書いています。

 

 

 

コース概要

https://yamap.com/plans/code/7iQXzvWewUnZaFqSL1lfsF3XBHFtqXqqRNatfpUvoAABeeIm9h66a0AGcvei1cLY1pA

 

清里駅→平沢→横尾山→信州峠→黒森→瑞牆山荘→金峰山→大弛峠→甲武信ヶ岳雁坂峠雲取山奥多摩駅

yamapで計画していた距離:87.6km
yamapで計画していた登距離:6323m

yamapのコースタイム:45時間34分

コース概要

 

ロード区間:
清里駅から平沢の飯盛山登山口(3km程度)
・信州峠→黒森→瑞牆山荘(7.5km程度)
・石尾根の最後から奥多摩駅の一部(1.5km程度)

全体の9割程度がトレイルです。
アルプスを除けば関東屈指のロングトレイルで距離は87kmに及びます。
獲得標高も6300mとごつい山塊です。

 

秩父縦走の特徴


①基本は森の中を歩く
標高は2000m以上の区間が多いですが、森林限界が高いです。
ほとんどが樹林帯の中を進むことにあります。
しかし、眺望がある箇所は少ないかといえば、意外と山頂が開けているところはあります。
岩場が少ないため、足には優しいです。

②補給が比較的難しい
小屋はそれなりにありますが、ルートから離れたところにあるものが多いです。
また、宿泊者以外で食事が取れる山小屋も多くないです。
水場も少なく、特に甲武信ヶ岳から雲取山はかなり限られます。

③updownが西側は激しく、東側は比較的ゆるやか
概要の図を見ても分かる通り、西半分のupdownが相当しんどいです。

 

行程を考えるポイント

まずは行程のグラフを見てみましょう。
どちらかというと西側が急で東側が平たいです。
東に向かうと、終盤にトラバース道を使えます。
清里が標高1200m以上、奥多摩駅は300m程度ということもあり、東向きの方がまだ楽かと思います。


次に水場ですが、甲武信ヶ岳から鷹ノ巣山区間が長いです。

私たちは少し寄り道になりますが笠取小屋に寄りました。
この区間はどこかしらで補給が必要だと思います。

(実績)富士見平・甲武信・笠取小屋・七ツ石山まき道の水場の4か所で水補給

 

食事を提供してる小屋も少ないので食糧は多めに持っていくのが良いでしょう。大弛小屋は土日9:30からやっているので、時間があえば食事を摂るのが良いと思います。

 

夜間区間は安全で景色があまりないところが良いと思います。私たちは今回は清里瑞牆山荘にしましたがこれも細い尾根や崖などがなく、かなり安全な区間のためです。(一方でヤマレコなどを使わないと結構あらぬ方向へ行きがちなことには留意する区間です。)

 

なんでこんな厳しいコースやりたかったの?


このコースは奥多摩駅から雲取山に続く山塊を含んでおり、ここは都民の登山者にはかなり馴染みがあります。
いつもよく見ているあの稜線が遠くの清里まで稜線でつながっているのか!と気づいたとき、それを辿ってみたくなったのでした。
チャレンジは2018年7月にも行っていますが、その際は瑞牆山荘から甲武信ヶ岳のわずか25km程度でリタイアしてしまいました。
一度弾き返された挑戦のリベンジでもありました。

 

計画


行程

元々は瑞牆山荘→奥多摩駅の67kmで土日で計画していました。(忙しくて有給が取れない…)
ですが、瑞牆山荘に始発から電車とバスを乗り継いでも10時前になってしまいます。
奥多摩の終電に間に合いたいと考えると36時間半程度での行動ですが、テント泊すると30時間程度でちょっと怪しい時間。
トラブルを考えると、余裕のない行程でした。(実際に瑞牆山荘→奥多摩駅で36時間かかりました)

そこで、清里駅に終電で向かい、夜から歩き続けることで時間を確保しました。
清里瑞牆山荘は特に危険箇所もなく、夜でも問題ないと判断しました。

テント泊を除けば休憩しながらでもコースタイムの0.7くらいは出るだろうと踏みました。日曜の昼から夕方くらいに奥多摩駅に下山できるかなという想定でした。

 

装備

前回失敗に終わったときの主な原因は暑さによる脱水とカロリー不足でした。
暑さ対策はこれと言ってできることが少なく、暑い日に実行しないということにしました。
秩父の標高は2000-2500m程度なので、本当に暑い日は25度くらいになります。
前回実行時も野辺山で31度だったため、それくらいあったと思います。
なので具体的には7月から8月は避けることに決めていました。

カロリーに関しては6000kcalは必要と判断しました。
清里駅セブンイレブンで調達です。(購入時の計算がうまくいっておらず、購入したもの+持ってきたもので4800kcalほどでした。)*1

 

バック
15リットルで行きました。いつものトレランバックです。
パンの袋に穴をあけて空気を抜けばこれでも入りました。



2リットル+500mlの予定でしたが、500mlの方は途中で落とすことになります…。

 

宿泊装備
ツエルトだけです。
シュラフを持っていきたかったのですが、大きくてかさばるのと気温の予報を見て比較的暖かいので置いていきました。

 

天気予報

金曜夜から日曜午前までずっと晴れ、日曜の午後は少し崩れるかもしれないという予報でした。

気温に関しては金曜夜は冷え込み、金峰山頂では5度予報。
一方で土曜の夜は比較的暖かく10度を切らない予報でした。
昼間は土曜が甲武信ヶ岳で18度くらい、日曜は雲取山で21度という予報でした。

雲取山からの下山が少し暑そうな感じでしたが、それ以外は縦走するのにぴったりすぎるくらいの気温です。

 


人を呼んだ

縦走は(こんな長い距離やる人いないでしょと思い)一人で実行する予定でしたが、
twitterで山を登る予定の田中くんを見つけて、「80km縦走するけど来る?」と聞いたところ釣れました。
出発前日の夜のことだったので、急いで行程を伝えました。

 

実際の行動



清里駅に最終電車がつくのはちょうど22時ですが、これに間に合うには19時新宿発(立川19:28発)のあずさに乗る必要があります。
この週というか2週間くらい12時間程度の労働が続いており、退勤時刻が怪しかったのですが、
この日帰れるように仕事のスケジュールを考えて実行していたこともあり、なんとか定時に抜け出すことができました。

実家に寄って夕飯を食べるとともに登山用荷物をピックアップして清里へ向かいます。
甲府で田中くんと合流しました。(彼は23リットルバック)
作戦会議をした結果、金峰山で仮眠し、夜はなるべく進んでテント泊ということにしました。

 

清里駅から瑞牆山


清里駅前のファミマは品揃えが悪く、国道沿いのセブンイレブンで調達することにしました。


上は半袖、下はタイツで走り始めます。長い行程のスタートです。

止まっていると寒いですが、動いていれば寒さを感じないくらいの気温でした。
いきなり山梨県から長野県に入ります。今回は山梨→長野→長野山梨県堺→埼玉山梨県堺→東京都というように進みます。
スタートしてすぐから星がよく見えました。この日が新月の翌日だったのもあるでしょう。満天の星空とはこういうのを言うんだよなと思いました。


国道から離れ、川を渡りスタートから2kmほどで平沢集落にたどり着きます。
飯盛山の登山口となっており、ここからトレイルスタートです。
しかしながら、いきなり500mlペットボトルを落としたことに気づきます。いつ落としたかも定かではなく回収できず。
さらにトレイルに入ってすぐにふくらはぎに筋肉痛を感じます。残業続きで疲れが取れていないのか、かなり不安な展開でした。

さて、コースは最初のうちは緩やかな道です。途中には展望台もありました。
名前は「大盛山」なのですが、飯盛山といい、ご飯に関係するのでしょうか。


大盛山の展望台を過ぎると道の脇が笹で覆われてきます、
前日の雨なのか夜露なのかは不明ですが、笹が濡れており、いきなり靴が濡れました。

しばらくは不明瞭な道が続きます。踏み跡が全くない区間もありました。地形を見て進みます。
道の脇に柵があり、柵のどちら側を歩くかよくわからない区間もありました。

道が不明瞭かつ夜間走行なので3回くらい道を間違えました。
精神的ダメージが大きいです。


横尾山を通り、長い下りを進むと車道に出ます。信州峠です。
この時点で朝の3時。

瑞牆山荘までロード区間はジョグしました。瑞牆へ向かうと思われる車を何台か見ました。
朝4:10に瑞牆山荘着。明るくなってきました。
ここまでは序の口の区間のはずでしたが、既にそれなりの疲労がありました。
清里瑞牆山荘は距離で23km、upでは1000m強程度です。

 

瑞牆山荘→笠取小屋

かなり眠い中で走行してきました。眠い中では思った以上に進まないし、つらいです。
瑞牆山荘では自動販売機があったので暖かい缶コーヒーを飲みました。
これでだいぶ足が動くようになり歩くスピードが回復しました。
瑞牆山荘から金峰山は1200m登ります。今回の行程でおそらく一番きつい区間です。
前回2018年に来たときはそこまでつらかった覚えはないのですが、バスで着いてすぐだったからでしょう。

富士見平小屋の水場で水を補給します。夜間走行で気温も低いため、ここまで1lも飲んでいなかったようですが、次の水場は甲武信小屋なので確実に確保します。
そこから少し行くと日に照らされた瑞牆山が見えました。

朝日に照らされる瑞牆山


このあと金峰山までは200m強の一気上りが3回くらいありました。
コーヒーの効果かそこまできつく感じなかったですが、相方は眠気がかなり来ているのもあり、しんどそうでした。
大日岩から金峰山までは森林限界を超えて視界良好な稜線を進みます。
今回の行程で数少ない岩場ゾーンを抜けると7時前に金峰山に到着しました。五丈岩は迫力があります。
金峰山百名山が最もたくさん見える山だそうです。

ここで1時間程度の仮眠を取りました。

金峰山、景色が最高

 


金峰山から細かいアップダウンを抜けると大弛峠に到着です。ここは標高2300mほどありますが、車道が通っており、車で来ることができます。
たくさんの車が止まっていました。

時間は9:25でしたが9:30から金峰小屋が食事提供の営業を行うということでここで朝ごはんにしました。
2人ともカレーを注文しました。野菜がたくさん入っていて美味しかったです。
値段は900円とかなり良心的。車で来れる場所だからでしょうか。

 

大弛小屋のカレー

 

 

大弛峠からは再び登ります。階段が長く続きます。
そんなに時間かからずに国師ヶ岳に到着。先へ進みます。

この先、名前のあるピークも少なく、どれくらい歩いたのかもよくわからないまま進みます。
甲武信までの距離をいまいち把握していなかったのでまだつかないのかと精神的にはつらい区間でした。
標高にして500mくらい降りてまた登ることになります。
秩父らしい苔蒸した森を延々と進みます。この区間あまり景色は変わりません。

シャクナゲと思われる花が咲く

森の中ずっとこんな感じ

 


国師のタルという鞍部からの登り区間は相当こたえました。up200mくらいの激斜を2回登ります。
何度か森を出て外が見える区間がありますが、そうすると山頂は近いです。
甲武信ヶ岳森林限界の上にあります。13時半頃にようやく到着です。

少し下ったところにある甲武信小屋ではうどんを食べました。
足の親指にマメができてつぶれていましたが、耐えです。

これでとりあえず前回リタイアしたところまでは来ました。

 

 

甲武信を出て少し下ると破風山の登り返しが待っています。
私はあらかじめ奥秩父縦走のブログを読んでいましたが、ここは口をそろえてつらいと書かれており、
だいぶ覚悟していましたが、ここの激斜は確かにつらかったです。登りの終わりが遠い…。
しかも木がまばらで西日がちょうど当たって暑い。この西日には雁坂峠まで苦しめられました。
水の残量が怪しくなってきます。

ですが、ここを過ぎると理不尽な登り区間はしばらくありません。
登りの山場はようやく越えました。

良い感じのトレイルだけど陽があたって暑い

 


このあたりで今回の行程の半分です。距離では半分ですが、upは2/3くらい終えています。精神的にはだいぶ楽になりました。

東破風山からの急斜面を下り、ゆるやかなupdownをこなしてしばらく行くと雁坂峠です。だいたい17時くらい。
雁坂峠は日本三大峠だそう、誰がそんなの作ったのでしょうか。植生は再び笹になってきました。この辺りはトレイルの雰囲気も良かったです。
笹があるところには鹿が来るのでしょうか。雁坂峠周辺では鹿を何匹も見かけました。

ここはかなり電波が入りました。TwitterのTLを追っていました笑。
ここでこの日は笠取小屋でテント泊することに決めます。

大峠雁坂峠

 


この後は比較的傾斜のゆるいトレイルを進みました。
笠取小屋には19時前くらいに到着。遅い到着でしたがテント(というかツエルト)を張れました。
周囲にはテントがたくさん。この天気ならそりゃ来ますよねって感じでした。
管理人曰くこの周辺はクマがでるそうで、適当なところに張るんじゃなくてこっち来て良かったねと言っていました。

張り方が良くなかったのかツエルトは寝てる間に崩壊しました。レインウェアとウルトラライトダウンを着て寝ましたが思ったより寒かったです。
20時から3時くらいまでいました。
ところで寝ている間にこれは明らかにクマじゃないか?という呻き声を聞いた気がします。気のせいだといいなと祈りながら寝ました。


笠取小屋→奥多摩駅

3時前くらいに田中君に起こされました。意外と寝れていたようでした。
疲労は回復したのかよく分からないままです。

3時を過ぎると他のテント泊の人も続々と起きてきました。

笠取小屋には水場があるので、ここで水を補給し、満タンにしました。次の水場は雲取山を過ぎないとないのでここでの補給は重要です。

まだ暗い中、笠取山近くのトラバース道を進みます。途中、水干(多摩川の源流)を通過しました。
稜線に出るくらいで明るくなってきました。唐松尾山付近は再びきつい斜面を登ります。
今回はあいにく樹林帯の中で日の出となり、ご来光を見ることはできませんでした。

しばらく歩き、朝6時半の将監峠付近では随分と立派な道が出てきました。
このあたりで何人かのトレイルランナーとすれ違いました。
何でも丹波山から前飛龍を通り、大菩薩峠の方まで行って丹波山に戻る周回の65kmトレランを企画して10人くらい参加してるとのことでした。

 

将監峠付近、道が広い


ここからは飛竜山まで長いトラバース道です。非常に歩きやすい道でした。
飛竜山直下の神社は思ったよりだいぶ小さくて驚きました。
さて、またしてもアクシデントに襲われます。初日は違和感くらいで済んでいた左足鵞足炎がはっきりした炎症になってきました。

ここから雲取山まではこの症状でかなり苦しみました。登りだけでなく、平地も下りも痛い。
休んで足を伸ばすとさらに痛みが増してきてしまいました。
それでも雲取山直下の最後の激斜を登り切り、ついに東京都へ到達です。10時前くらい。
ちなみに私は痛みと戦っていましたが、田中君は腹痛と戦っていたようです。

晴天ですが、薄い雲が出ていました。
おかげで太陽ギラギラという感じではなく、体感温度もそこまでではなく、救われました。
ここで少し仮眠すると痛みも多少良くなりました。珍しく写真もたくさん撮りました。

雲取山から見える稜線(石尾根)

 


ここからは石尾根と呼ばれる縦走路で非常にメジャーなコースです。(しかし私は実は初めてでした)
基本的にゆるやかな下りで20kmのウイニングランみたいなものと考えていました。
逆に言うと雲取山までくればこの行程の達成は目前と考えて、雲取山までは耐え…と思いながら来ました。

雲取山からの下りが急なのを過ぎると、長い平坦なゾーンに入ります。
数あるピークはほとんど巻き道がありました。非常によく整備されたトレイルです。
基本的に巻き道を使うのでほとんど登りない、ありがたいと思っていたら1箇所だけ巻き道が崩壊していて通行止めになっており、
比高100mくらいのでかめのピークを上り下りしました。ここにきての登りはきつかったです。
水は七ツ石山の巻き道、鴨沢方面との分岐になっているところの水場で補給しました。水量も多かったです。

しばらく防火帯になっている明るい道を進みましたが雲取山から12km過ぎくらいでよくある奥多摩らしい森に入っていきます。
多少のアップダウンがありますが、標高はまだ1200mほどあります。この日の東京は32度だったというので、終盤まで標高が高いのは救われました。

六ツ石山の分岐につくといよいよ最終目的地の奥多摩駅の表示が出てきました。あと6km程度です。
ここで補給しますが、食糧(カップ麺、ゼリーとようかん以外)が尽きました。カロリー的には結構ギリギリだったようです。


残り3kmくらいからは急激に標高を下げていきます。残り3kmくらいになると瑞牆山荘手前で見てから80kmぐらい見ていなかった集落が見えてきました。
いよいよ終わりが見えてくるとともに林道に出ます。林道を歩くと家が見えてきてどこか安心しました。
少しばかりトレイルの道がまた出てきてこれを歩くと立派な神社にたどり着きます。
ここの参道の階段を下るとついに国道とヤマザキショップが見えました。
すぐに奥多摩駅に至ります。15:40くらいにゴールです。

長い長いみちのりでした。96km、up6600mを完走です。カロリー消費はなんと11000kcalでした。

奥多摩駅でゴール

きつかった



完走してみて

 

秩父の森は広いですね。縦走の距離も長いけど、瑞牆山荘以降は集落が全然見えなかったので山深いところだなと思いました。

地図上では清里から奥多摩まで行けることが分かっていても、実際にたどり着いた時の感動は想像以上に大きかったです。

前半は本当にきつかったですが、後半の行程はそこまででもなく、終わったあとも(眠かったけど)まだ歩けるなという感じでした。

体力的には意外となんとかなりました。しかし、ケガ(炎症)は苦しかったです。炎症がもう少し早く起きていたらリタイアも考えたかもしれません。

天気には恵まれました。6月に山で丸2日、雨が降らないだけでもかなり珍しいのですが、気温も寒すぎず暑すぎずで今回の縦走成功の大きな要因でした。
縦走後に河辺駅の温泉に行ったのですが、体重は私は2kg、田中君は4kg減っていました。同じくらいのカロリー摂取のはずなのに何で差が出るのか笑。


一緒に行動する人がいることの重大さを学んだ気がします。道迷い、ケガ、万が一のライトや食料の切れなどが起きた際のリスクが減ることに加え、頑張って進もうという気に本当になります。ありがとうございました。

 

次に長いのやるとしたらアルプス大縦走かな。

ロードの 100マイルも冬にやる予定です。

 

*1:

〇購入して消費したもの
抹茶クランチチョコ195kcal
カルパス361kcak
ケーキドーナツ100kcal×8
はちみつマーガリン390kcal
ランチパックピーナッツ322kcal
バター風味パンケーキ470kcal
コアラのマーチ259kcal
おにぎり500kcal
もちもちリング抹茶304kcal
ビーフメンチカツバーガー539kcal

サーモン寿司214kcal

〇持ってきたもので消費したもの

スポーツようかん113kcal
速攻元気100kcal
マグオン×2 100kcal
アミノバイタルパーフェクトエネルギー180kcal

2022ICMR注目選手・展望

春インカレ予想

昨年の春インカレは出れない大学が多く出たが、今年はようやく全大学が出れるのではないだろうか。4年ぶりという大学もあるということになる。相変わらず強い大学、部員が減っているけど何とか存続している大学など色々あると思うが是非春インカレを楽しんでほしい。

 

【ミドル】

◯男子

 

本命

・二俣、平岡(京都)

秋インカレでも優勝、2位とその力を見せた2人。実力については今さら言うまでもない。平岡は初のミドルチャンプ、二俣は初のインカレ優勝に向けて挑む。

 

・永山(筑波)

ヨーロッパ遠征にも行っていた永山。昨年も入賞。インカレロング、全日本ミドルロングでの成績も良く、好順位が期待される。京都の2強を崩せるか。

 

・本庄(東京)

昨年のリレー東大1走でもあった。ミドルセレも2位通過。

 

入賞ライン争い

・森(横国)

ミドルセレでは用松を抑えてトップ通過。非常に調子が良い。スカイレースで入賞するなど体力面も伸びている。1年生の男子シードは稲森以来だろうか。ロングでは悔しい結果となっただけに春での飛躍が期待される。

 

・高木(北海道)

秋インカレでも入賞という結果を残した。

 

その他有力選手

名前だけ

用松(慶應義塾)

美濃部(横浜市)

祖父江(筑波)

 

 

◯女子

 

本命

 

・樋口(筑波)

2年生ながら安定して早い選手に成長した。ロングチャンプ。勝山選手(茨城15)の再来なるか。

 

・近藤(名古屋)

スプリント優勝。ロング入賞。最後のインカレである。

 

入賞ライン争い

・松本(神戸)

スプリントが圧倒的に早い選手だが森での走りも大きく成長した。

 

・長瀬、上島(お茶の水)

お茶の水女子並びにolk女子の2枚看板。1年生の後輩も入ってきた後輩に向けても良い走りをしたいはずだ。

 

・落合(京都)

スプリント、ロングともに入賞の結果を残した経験者1年生。

 

・山崎(筑波)

未経験1年生ながらロング入賞したスーパールーキー。ゴツいテレインに強いのかは分からないが期待したい。

 

その他有力選手

名前だけ

栗山(横浜市)

吉田(東京理科)

 

【リレー】

◯男子

本命

 

京都

石原、二俣、平岡

今年は京大が1番手ではないかと思われる。

石原選手は2年生だが、優勝は彼の1走スキルにかなりかかっている。

 

東京

金子、折橋、本庄

4連覇がかかる東大。毎度のジンクスがある年だが今年は盤石とはいえない。しかし、矢板で練習をしまくっているという噂もあり、4連覇にかける思いは半端ではない。

1走は金子選手か。cc7でも途中までトップを走っていた実力がある。2走は折橋か久保木。3走は本庄選手だろうが、順当に行くと後ろから平岡選手が追ってくる構図になる。逃げ切れるか。

 

筑波

平岩、祖父江、永山

平岩選手か菅波選手かは悩みどころ。1走祖父江選手もなくはないがなんとなく2走が合いそうな選手である。

 

入賞ライン争い

 

早稲田

宮岡、立松、入江

4年生トリオ。特に立松選手はこの1年で大きく成長したと思う。入江選手もミドルセレでは厳しい結果だったが復調のようだ。安定した実力の3人。

 

横浜国立

碓井、羽田、森

他にここ最近登り調子の野口選手がいる。森選手以外の3人は最近の結果が均衡していると思われ、3人のうち誰が出てきてもおかしくない。

入賞すると2019望郷の森以来となる。

 

北海道

末満、堂垂、高木

森選手と清水選手が抜けて昨年から戦力ダウンだが、高木選手は好調、他の2人も実力があり、今年も入賞ラインに食い込める可能性がありそうだ。

 

新潟

若林、植西、福田

毎年のこと、よく分からないが早い新潟大学。昨年は6位に食い込んだ。今年も選手の走力には定評がある。

 

 

その他有力校

・東北

エース稲毛選手

慶應義塾

エース用松選手

・名古屋

・東京理科

 

◯女子

本命

 

筑波

佐藤、山崎、樋口

なんといってもロング入賞者2人を擁する筑波が優勝候補だろう。佐藤選手も実力がある。その他に全日本20E優勝の坂池選手もいる。

1走に佐藤選手か山崎選手かは悩みどころだが、経験数から佐藤選手ではないだろうか。

 

お茶の水女子

砂田、上島、長瀬

ついに1年生を獲得して単独で出れるようになったお茶の水女子。しかもこの砂田選手もしっかりとオリエンに参加して相当実力を伸ばしている。山リハでは学生トップ。お茶の水女子は昨年は福田選手との混成で優勝相当タイムだった。砂田選手の走り次第で筑波と優勝争いになるだろう。

 

新潟

柴崎、羽鳥、大石

珍しい3年生トリオ。北信越の枠が1枠しかないためロング選手権を走ったのは羽鳥だけだが全員インカレで枠を取れるくらいのレベルの実力はある。巡航では柴崎選手が最も早いが、最も飛びやすいのも柴崎選手である。誰が何走なのかは最も読めない。2走終了時点ではトップの可能性が高い。

 

京都

角本、羽岡、落合

阪神奈大会の結果を見た感じでは、角本、羽岡の両選手もなかなか良さそう。山リハも早かった。エースは落合選手。

 

入賞ライン

横浜市

松本、高野、栗山

他に伸びが著しい宮沢選手がいる。4年生トリオだと全員昨年の優勝メンバーということになる。筑波大などが強いが、安定した実力、豊富な経験で今年も上位争いをするだろう。

 

東京理科

宮川、浦中、吉田

昨年2走までまさかの1位だった理科大。浦中選手、宮川選手が伸びており、入賞に期待がきる。宮川選手は速い日と遅い日が結構顕著にあるが、昨年のリレーを見ると1走は得意と思われる。それ以上に浦中選手の調子がカギを握る。

 

その他有力校

 

・東北

林、鷲津、水上

強い東北女子が復活するか

 

・日本女子

西川、住谷、榎戸

昨年入賞している日本女子。

 

・神戸

エースは松本選手

オリエン歴10年でスプリントにハマった話/面白い市街地の探し方

6日目に引き続き14日目を担当します吉澤です。

裏adventは11/30に見ても登録者が5人とかだったので「自分が2つ書いて埋めるかー」と思っていたのですが、いつの間にか全部埋まっていましたね。ありがとうございます。

執筆が遅くなり申し訳ありません。

今年は会社から2週間の休暇をもらって、スウェーデンのO-ringen(世界最大のオリエンテーリングイベント)に行っていました。ただ、これについてはあざおOLCブログに書いたので今回は書きません。

 

今回はオリエン歴10年以上にしてスプリントにハマって少しだけ戦えるようになった話と面白そうな市街地を探す方法を書こうと思います。年末に主催の横須賀スプリントも控えているので。

 

 

オリエン歴10年でスプリントにハマった話

<スプリントへの愛なんて持っていなかった>

簡単に自分の経歴を書くと高校の経験者→KOLCでオリエンテーリングをしていました。正式には中学3年の途中からやっていました。高校3年の同じクラスから3人慶應のオリエン部に入ったのが懐かしいです。

大学ではロングこそ体力・走力でそこそこ走れましたが、ミドルは弱く、スプリントに至っては特に熱心にやった記憶はありません。

大学の時のスプリントセレの結果は

1年:開催なし(まだインカレスプリントは試行大会)

2年:惜しくもないタイム

3年:DISQ

4年:DISQ

です。ちなみに3・4年は全部回っていても通っていないタイムでした。

インカレ本戦も併設のスプリントで目立った成績はなく、4年の秋インカレに至ってはエントリーさえすることなくインカレ期間と被る形で留学していました。余談ですが、ミドルセレも全て落ちています(今年のミドルセレでようやく通過相当タイムを出しました)。

 

当時のKOLCは1つ下だけでもアジアチャンプ、WOC代表×4人(上島、稲森、いつき、村田)、2つ下の桃井も入れるとインカレスプリント優勝×3人という、とても強いクラブで環境には恵まれているはずでした。また、西下という作図オタクや「スプリント大好き同好会」を名乗るやつもいてスプリントが面白い競技であると知る由はたくさんあったはずなのに何やってたんだろうなーという感じです。当時はインカレスプリントが始まったばかりでスプリントの黎明期という頃ではありましたが、いつかのインカレスプリントでもプランナーが求めていた「スプリントへの愛」があまりにも足りなかったです。

 

<転機>

社会人になってもスプリントへの興味はあまり変わらないまま過ぎていきましたが、昨年転機が訪れました。とても複雑ですがまとめると以下になります。

 

①基盤地図をOcadに取り込むことすらできなかった自分が地図調査をして作図をするようになった。

②①の結果、マッパーが「地図表現で言いたいこと」が分かるようになった。特に野沢温泉スプリントは体感ではミスなしで、人生ベストレースを更新して自信がついた。

③テレワークにより通勤時間が消滅したことで走るのに充てられる時間が増えた。体重が減少して、より走れる感覚になった。

④スプリントって(加齢に伴う身体の衰えを考慮するとフォレストよりも)勝負できるのは若いうちだよなーという思考に至った*1。(何でこんなこと考えたのか分からないけど。)

オリエンテーリングの要素の中で正しいルートチョイスを素早く考える部分はすごい好きで、それと走力でならそれなりに戦えると思った。

 

その後決定的だったことがさらに2つありました。

1つは上記の状態の中でインカレスプリント実行委員長を引き受けたことです。詳細は昨年書いた(ttps://good-outdoor.hatenablog.com/entry/2021/12/07/190743)ので省きますが、この一連の運営の中でもスプリントの競技規則、コース組み、地図表現などの知識を大幅に増やすことができました。あのコースを走れる大学生羨ましすぎる!と思ったものです。

もう1つは自分の走力がまだまだだなと思わされたことです。横浜市金沢区に住んでいる自分は八景の横浜市大生と走ることが時々ありましたが、男子5人で野島公園3周(3.6km)走って4番手ということがよくありました。150km/月くらい走る月もありながら走り負けるのはちょっと悔しくて、走力UPの方法を模索し始めました。

 

この辺りから気づいたらスプリントにたくさんエントリーしてハマっていきました。

<スプリントへの取り組み>

①走力UP

それまで自主トレは適当に走ることしかやっていなかったのですが、検索したら出てきた「ダニエルズ理論*2」というのを取り入れてトレーニングすることにしました。

レーニング内容を簡単に書くと、自分のvo2maxに合わせてポイント練を週に1-2回、残りをジョグでつなぐ感じです。ポイント練は主にペース走とインターバルをやっています。それから終わりにちゃんと流し(WS)をするようになりました。
おかげで5000mは18分を切れるように、1500mも高校以来のベスト5:08だったのが4:52まで縮まりました。嬉しかったと同時に大学生の間、自分がいかに効率的なトレを考えて実行していなかったか痛感しました。

 

②近くのマップを作ってみんなでスプリントした

住んでいるエリア(金沢文庫・八景市街地エリア)の作図を昨年12月から今年3月に行いました。3月にお披露目したのですが、これをそのまま保有しておくだけでは勿体ないということで文庫・八景のメンバーとスプリントシーズンは週に一度ほど朝スプリントをするようになりました。通称「文庫スプリント」です。

このテレインの構造はそこまで難しくないですが簡単でもなく道は細いです。行く方向をよく間違える魔の6叉路(勝手に呼んでる)があります。5-6月の全日本・スプセレ前期間はプランナーを毎回変えながらやっていました。このテレインの地図を作るにあたっては、半分は学生の時からの文庫・八景への感謝の気持ちで作りましたが、半分は自分が速くなるために作りました。やはり自宅から徒歩圏内にスプリントテレインがあるのは強いです。何よりも毎週読図走をすると地図を読むのに慣れてきます。 

ちなみにスプリントシーズン外は六国峠というトレランコース(6kmちょい)を何人かで朝走っていました。トレーニング環境に本当に恵まれている場所ですね。(ところで東北大の一部の人は9km/UP300mのトレイルを朝やっていて、それはゴリラになるわなと思った)

 

その他、葉山や横須賀(後述)でも作図を行い、スプリントをやりました。

 

 

 

金沢八景の魔の6叉路

トキワシティ(ASAREN)

先日、KOLC後輩の桑原さんが表のadvent calendarにあげてくれた記事(https://note.com/green_tea_115/n/nf40e86b56a04)のやつです。横国キャンパスでやる日を中心に何回かお邪魔させてもらいました。横国の良いところは先読みするのが難しくて、常にナビゲーション負荷がかかるところにあります。コンピを組むと特に難しく、当時1女だった平澤さんにASARENで1度敗北することもありましたが、だいぶまともに回れるようになりました。ASARENは7時半からなので私の場合は6時半に家を出ないと間に合わなかったのですが、それだけの価値はあったと思います。余談ですが、横国生がスプリント強いのはASARENが絶対関係していると思っています。

<結果>

自分のターゲット大会はもちろん全日本スプリントでした。対策はたくさんして臨んだものの、結果は残念ながら予選でボーダー落ちとなりました。しかし、決勝併設では決勝の18位相当のタイムを出すことができました。全体で巡行110、ミス率3.6(ミス率低い方から5番目)というのは前年はE権獲得すら怪しかったことを考えると、やってきたことの効果が少しは発揮できたかなと思えました。

その他、関東スプセレが(なぜか1本目で選考クラスを走れず2本目ではありながらも)全体3位相当タイムだったのも結構嬉しかったです。

 

この1年はたくさん競えたり一緒にトレをした選手がいて刺激になりました。感謝しています。また、頑張っている選手がスプリントセレに通過したり、インカレや全日本で活躍したりしたときの喜びが上がりました。

 

ちなみに今年は週5テレワークでしたが、来年から週5出社になります。やりたい仕事に希望を出しての異動ですが、トレは踏ん張りどころです。

 

面白そうな市街地を探す方法

面白い市街地スプリントは2種類あると思っています。

1つは立体交差を多用するもので「川崎駅」や「天王洲アイル」なんかがその例でしょう。

もう1つは入り組んだ道のある市街地を使うタイプです。

前者も面白いのですが、私は後者が好きです。何といっても、細い道、路地には魅力があります。大抵の場合、古い建物を伴って風情があり、どこか生活感のある道がどこへどんな風に続くのだろうと思うとワクワクします。私はこういうところを散歩するのが大好きです。(なのでスプリントの作図をするのは私にとっては意外と比重が低いのですが、隅から隅まで見れるので発見があります!)

こうした細くて入り組んだ道のあるテレインをよく探しています。

 

路地の魅力はたくさん

 

基本的には地理院地図を左下のゲージを300mにして探しています。延々と見てられます。関東に限らず、全国津々浦々本当に長い間見てしまいます。それだけです、というと全く面白くないのでもう少し書きます。

 

個人的にスプリントで面白い市街地とは以下のようなところだと思っています。

  • 碁盤目状になっていない
    ただ直角に交差する道路だとナビゲーションは簡単です。
  • 区画が広くない
    区画が広いと先読みが簡単にできてしまいます。

 

札幌中心部

日本で碁盤目状の都市の代表例といえば札幌でしょう。計画されてできた街です。北海道の都市はだいたいこんな感じ。札幌で面白い市街地スプリントするのはなかなか難易度高そうです。

  • 道が細い
    見過ごしてしまうような細い道があるとナビゲーション負荷が上がります
    地理院地図だと左下が100mとか300mのゲージのときに黒く見えるのが細い道です。

 


以下はあるとベターかなと

  • ところどころに公園が混ざってたりする(道でないルートチョイスが存在し、コントロール置ける場所も多い)
  • 複雑な構造の建造物がある

さて、どういう条件だとこのような市街地になるのでしょうか。個人的に意識しているポイントがいくつかあります。急に都市計画の話が出てきますが…笑。


①昔からの市街地か

昔の道は車が通ることを前提としていないため、道幅が狭い道路がたくさんあります。(国産車ができたのは1904年だそうです。)

さて、建築基準法という法律があり、これによって建築物の敷地は幅員4m以上の道路に2m以上接してないといけないと決められています。狭いと緊急車両が入れないことや日照が悪いことなどが問題となるようです。これが定められたのが1950年です。ですが、それ以前からあった道に関しては、建物を新しく建て直したりしない限り、対象外となっています。

新興住宅地はたいてい整然とした区画になります。


②戦争で空襲の被害を受けているか

上に関連しますが、空襲の被害を受けていない都市は昔からの街並み(細い路地)が残りやすいです。焼けた都市は区画整理がされたり、新しい高層建築が立ちやすかったりします。

東京の場合、空襲で焼失したかどうかを示すマップは以下から閲覧できます。おそらく初めて見ると衝撃を受けるのでリンクにしておきます。(1945年3月の大空襲が有名ですが、同年5月にも山の手空襲という大規模な空襲があり、新宿や渋谷といった東京の西側が広く被害を受けました)

拡大画像|戰災燒失區域表示帝都近傍圖 (nichibun.ac.jp)

これの良いところは被災しなかった地域も見れることです。本郷の北側にあたる谷根千スカイツリーも近い京島などは細い路地で有名ですが、これらも空襲から逃れた地域です。

 

③平地かどうか

全く高低差のないところに道を引こうとすると基本的にはまっすぐ道を引きますよね。

一方で高低差が少しでもあればコンタっぽい道や尾根を行く道なんかが生まれます。つまり必ずしもまっすぐな道ではないということです。この点から少し高低差がある方が道が直線でなくなり面白くなるのではないかと思っています。これは根拠となる資料が見つからなかったので推測です。

 

いざスプリントをやるには、どれだけ良さそうでも信号ばっかりあるところでは危険ですし、信号がなくても車通りが多いと厳しいです。この辺はgoogle mapや現地視察で確認します。また、細い道でスプリントやるときには危険個所や通行人への配慮といったことに関して参加者への周知が必要です。

 

面白そうと思って自分が実際に作図した場所を載せてみます。

(幸いなことに三浦半島は面白い市街地が結構あって、A4で8枚くらい書きました。)

 

葉山。野沢温泉に似てるところがあるような。

多磨霊園駅南。最初に書いた場所。

その他、家が近くだったら書いてみたいなーと思う場所

沖縄本島

 

瀬戸内海の島と広島・岡山あたりの海沿いの町、地図で見ただけですが面白そうなところ多いです。

広島県

 

最後に年末の横須賀の範囲の一部です。路地が好きな人にはたまらないと思います。

同じ横須賀では衣笠駅周辺も描いている途中です。

横須賀

まとまらない文章でしたが、スプリントと路地の魅力が伝わってたら幸いです。

長い記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



*1:一般的に短距離の方が長距離よりもピーク年齢が低いです。マラソン2時間切りのキプチョゲ選手は現在38歳

*2:適当な記事を張っておきます。 ダニエルズ式トレーニングとは~概要~|2B Runner (2b-runner.com)